さて、しばらく和式鉄砲化の記録がおろそかになっていたが、ここで陽気も良くなってきたので、漆塗りの工程に入ろうと思う。火縄銃の台木の材木は基本的にはシラカシまたは赤カシが最上とされていたようである。しかし、東北の鉄砲の木目を見ると、必ずしもカシだけを使っていたとは言えない。と言うのは、例えば仙台筒には黒柿を使った美しい木目が出ているものがあったり、またはカエデを用いたものなども存在する。カエデは歪曲した美しい杢目を認めるがその反面切削加工がカシ材に比べ難しい。仙台筒の多くは、木目の中のポアと呼ばれる部分の幅がどうもカシ材に比べると短いように見える。江戸時代に多く産出された材木は、福島県ではブナであったあったが、おそらく仙台でも同じようなものが多く産出されたのではないかと思う。そうすると西日本、例えば国友で多く使われていたシラカシや赤樫よりもブナなどの地元で取れる堅木が使われていたのではないかと推定できる。ちなみに有坂銃はブナの台木である。

左からシラカシ、赤樫、ブナ、カエデの杢目比較

 

火縄銃の台木には強度や切削加工の都合から追本柾目が使用される。板目で切られた材木を使うと湾曲したり切削加工でうまく削れず、さらに衝撃により年輪に沿って割れてしまうからだ。これは後年に偽造された偽台木を判別するのにも役立つ。




左から白樫、赤樫、ブナ、福島鉄砲の台木

 

さて材木を知ることは台木作りでは最も大事な事であるが次に漆塗りの工程である。200〜400年もの間日本の火縄銃の台木が欧州の鉄砲台木に比べ圧倒的に状態が良いのはひとえに漆のおかげだと言えるだろう。さらに漆をただニスの様に塗るだけではない。コクソ漆を用いて台木に鉄筋ならぬ麻ワタの補強剤を施す事で薄い銃身座の部分の補強が為されている。この部分は他の台木に比べ黒くなっているので判別が可能だ。裏千家淡交社発行の教本、漆器入門によると仙台藩は江戸時代日本で最も漆生産が盛んだった藩でその為に屋敷を持つ地主は住人一人につき毎年領地内に15本の漆の木を植える定が元和六年一六二〇年に渡されていた。分限帳によると藩御用達の塗師があり、本田、菊地、亀ヶ岡、熊谷、関本等二十一人が召し抱えられていた。他にも町方の職人が数多くあり、仙台藩の塗り物は大変盛んであった。幕末には菊田門蔵が門蔵研ぎ出しを考案し盛んに生産された。(福島の親族で曽祖父と大変仲が良かった菊田さんもいるが関係あるだろうか。。。)

 

西日本では漆が貴重品とされ台木に使われている漆の厚さも薄く、その厚みは仙台や福島のものと比較すると瞭然である。根来塗りという技法があるが、あれは朱漆が調達できず、薄く塗っている為すぐに塗りがすり減ってしまったため趣のあるハゲが生じた。それが良いと言う事であの塗り方を敢えてする様になったと言う。

 



我が家にある根来塗と研ぎ出しの器

 

漆塗り様に今回制作した竹ハケ

 

左上からノリ、ワタとトノコ、ノリと漆を混ぜた所、砥の粉を混ぜてコクソになっていくところ。

 

これを塗りつけていくと所謂サビずけの状態になる。今回使用している材木はバーオークで、ホワイトオークの一種である。ホワイトオークは日本で言うカシワであり、材木のポアがある、これを埋める必要があるのでさびずけは必須である。


随所に認められるコクソや錆漆の下地処理で道管が完全に埋められている。

 

 

左からシラカシ、赤樫、ホワイトオーク、ミズナラ(カシワ)

 

 

さて、サビ付を施したら数日間フロの中で放置して漆の硬化を待つ。来週の水曜日に紙やすりで削り形成し、再度カブの部分にわたの入っていないコクソを作りポアを埋める。その後再度ヤスリをかけ、本塗りに移行する。



湿度を上げる為熱湯を注いだ容器を二つ置きガンケースの中で休眠中の台木。