しばらく先祖がどの様な格好で伝家の鉄砲(おそらく江戸中期〜)を使っていたかを調べていたが、今回有力な史料を見つけた。


数週間前に仙台市博物館のデジタルアーカイブが閲覧可能になりその中に伊達吉村公(江戸中期の仙台藩主)によって作画された狩図絵にがあったそこには紛れもなく三尺三寸銃身の伊勢守流系統に仙台筒が登場しており、服装も詳細に書かれている。


二人が付き人と鹿狩りをしており一人は鳥追い笠の様な編笠を被っており、もう一人は兜頭巾または猫頭巾を着用している。


博物館所蔵の物で転載には許可がいる為今回絵図を元に想定装備品の図を描いてみた。



左は狩図絵のままである。三尺三寸の仙台筒を手に持ち、兜頭巾、筒袖の長着、脇差にたっつけ袴、革足袋に草鞋である。


この頃までは革足袋は武士には重宝されており、綿の足袋が一般に使われる様になったには江戸中後期である。


右に絵は冬装備を想像した物だ。兜頭巾に重ね着した長きその上から燻べ革の革羽織を羽織る。革羽織は伊達忠宗公が実際に狩などに使用したという物現存している。革羽織は幕末にはもっぱら火事装束だが江戸期前中期には狩装束(鉄砲装束)として使われていた事が忠宗公の革羽織の解説から判明した。革の手袋にたっつけ袴だがおそらくこちらも江戸初中期においては軽くて薄い鹿革製であった可能性が高い。そして雪長沓。


ちなみに下が私が想像で復元していた装束。既存の着物を筒袖にすればいいだけな様だ。兜頭巾は作ってみるか。