謹んで新年のお慶びを申し上げます。本年の皆様の御多幸御健勝をお祈り申し上げます。


日の本から15時間遅れの初日の出


令和五年は私にとって大きな人生の転換期となった。生まれて初めて祖母の福島の本家へ伺い、ご挨拶をすることができ、コロナ禍でしっかり出来ていなかった本家の当主や親族に祖母の逝去をお伝えにあがることができた。



ご挨拶へ伺った現在の本家。ここには今の家屋の2倍の大きさの大屋敷が建っていたのだ。


信夫の鉄砲が紡いだご縁

何よりこの本家の訪問も全ては祖母の家に伝わる鉄砲の研究が無ければこういうことにはならなかった。鉄砲が繋いでくれたご縁だったのだ。


その中で、何処の馬の骨かもわからないカナダ在住で駆け出しの鉄砲研究者の私を米国の研究者と共にご招待して下さった大恩人がいらっしゃる。

伊達相馬鉄砲館の館長の遠藤稔さんである。遠藤さんは鉄砲復元に関わる参考史料の撮影と提供をして下さったり、今回のフォーラムにお誘いくださった事で私達を多くの方々に繋いでくださいました。


遠藤さんと遠藤さんの幼馴染が経営されている和食料理店桜坂の店先にて。


このフォーラムが無ければ福島の本家訪問も東北を駆け巡り150年に渡りその行方や詳細が知られていなかった越後片貝の鉄砲の発見もなかったのである。この鉄砲の発見は小千谷の郷土史上の大発見で、私がその写真を持って地元の皆様にご紹介させていただいた。


フォーラムでは私が特に重宝させていただいていた目当ての研究や銃身に関することなどで先行研究をされてきた大先輩の研究者である須川さんにも直接お会いする機会を頂いたのも遠藤さんのご配慮からだった。須川先生の研究は射撃を実践している方だからこその目線が多く反映されておりその実践研究の姿勢は常に参考にさせていただいている。

 なぜ須川先生の研究が大切かというと鉄砲研究者には私の大学の先輩方を含め、射撃の専門家ではない歴史人文学系の方が多くいる。鉄砲といえばほとんんど全ての文献に登場する私の大学の先輩もいらっしゃるが、津田流を始め長筒、中筒を得意とする流派で共通の種子島朝来説を否定されており、史実に伴わない大陸伝来説を唱えていたり、日本の武術精神を取り入れ武人の炮術を創設し、各方面の文献や伝書、書状に登場する津田監物の存在を完全に否定するなど不可解な学説をお持ちである。佐伯藩毛利高政公津田流御流儀の鉄砲史料など非常に細かく蒐集がされており、文献として参考にさせていただく事が多いが、種子島伝来否定や津田流砲術否定説は津田流炮術再興発起人の一人としては全く受け入れられない。

 鉄砲の研究者として射撃を基本とした姿勢をお持ちの須川先生の研究はそういった背景から私が行っている研究の土台となる基礎研究となるのだ。


令和六年のお点前は毎年恒例の友人宅の新年会で。


そんなご縁に恵まれた令和五年でありました。

残念な事もありましたが、致し方のない事でありました。本当に良い出会いもあれば別れもある物と言うのもご縁なんでしょう。


いつもこのブログをご覧いただいている皆様、鉄砲修繕復元に気をかけて下さっているブラスさんを含め鉄砲研究大先輩の皆様そして、東北研究をご支援くださった遠藤さん、本当に心より御礼を申し上げます。


津田流流儀

心こそ心迷わす心なれ

心に心心ゆるすな

この古歌に則り


私心に囚われず巻張銃身製作と鉄砲製作技術の完全復活に向けて人一倍精進致しますので引き続きご愛顧の程宜しくどうぞお願い申し上げます。


安達拝


令和六年正月