江戸時代の終焉を迎えた東北地方にはもう一つの終焉が訪れた。鉄炮の終焉だ。400年に渡り培われてきた日本の鉄炮には西洋で起こらないような日本独自の鉄炮製作や技術が採用されており、その一つが漆塗りであった。火縄銃の台木に使われたのは生漆を何回も摺る事で木地を透けて見せる事が出来る摺り漆という方法が用いられたと考えられる。


ある文献によると多くの台木師や鉄砲鍛冶が転業を余儀なくされ、箪笥業がそれらの職人を受け入れたという。二本松や仙台など高級漆塗りの箪笥には私の家族に伝わっている 火縄銃と同じ色合いの物もおおい。東北の火縄銃は特に漆塗りが厚く施されていることが多い事からその塗りの方法をしばらく考察していたが、答えは箪笥屋さんからお話を聞くことができた。二本松箪笥木工家具の連絡団体に国際電話でお話を伺った。


二本松の箪笥の塗りは間違えなく拭き漆/擦り漆でそれを10回以上繰り返すという。この回数が福島の火縄銃台木を美しいが控えめな8分の光沢を漂わせるのだ。通常の擦り漆は5回から6回程度であるが、10回以上となると流石の深みである。


残念ながら二本松ではほとんどに場合カシューや科学塗料に置き換わってしまい、漆塗りを用いることは少なくなってしまったそうだ。特に二本松と漆塗りは切っても切れないほどの伝統があるが、後継者不足に悩まされ、一つまた一つと塗り屋が黒字廃業していったという。残された漆塗りの産業はもっぱら仏具で仏壇などが多いという。


嫁入りに箪笥を贈らなくなってからどのくらい経つのだろうか。私の母は嫁入り箪笥ならぬドレッサーを贈られた様だが、日本の文化が変わっていった背景から廃っていく事の遣る瀬無さに頬を涙が伝うのである。

 

これから手元にある生漆を用いて復元制作中の少年用紀州筒を漆塗りしていく予定だ。