祖父が亡くなってから3週間くらい経ちました。

その葬儀でも
祖母の前では娘な母と、わたしの前では母である母を目の当たりにして。
母であることは役割のひとつで、人は人であり、その上で母になっていくんだなぁと感じたりね。

祖父の生き様を感じたり。

家族でいる時間にわたしもこの家族の中ではいつまでも娘であり、家族の一員であることを実感してね。

祖父からのギフトのようなとてもいい時間だったのだけど…

3週間経った今も、また贈り物が届く。

ピーマンや、さつまいも、里芋など…

祖父が好きで作っていた野菜たちが
もう祖父はいないのに今収穫されたり
とってあったものが届いてね。

それを口にして、わたしをつくっていく。

ピーマンは少しでも長く祖父を感じられるようにピーマン味噌に。

今日は里芋の煮っころがし

生きるということは
なんにも意図はなくとも
なにかを次を生きる世代に残していくこと。

残すというより
残っちゃうんだなぁ

わたしたちが今行動していることが
良いも悪いもなく
行動したことがただ誰かのなにかに残っちゃうのだ。

子々孫々と。
そうやって残っちゃう。

そして
繋げるとか意図しなくても
誰かがその人なりに生きているということは
もう誰かを繋いでいるということなんだろうなぁ

人はカタチがなくなっても
生き様や想いは残って続いていくんだね。
なにもできないわたしでいい。
わたしに正直でわたしのままならそれでいい。

そんな風に思う。