追突事故にあいました。

一瞬の出来事・・・

 

降りてみると

相手は娘と同じ年齢の子を病院に連れていく途中。

事故も大きなものではなくて、現場検証がなされ30分程度で日常へ・・・

 

警察が来る間、相手の方と話しながら

相手の不安やお子さんの心が不安にならいようにと

雑談をしながらいたわたし。

 

その中で不思議な共通点や、子育ての話などができて

いい時間だったなぁと思ったの。

 

そのあとも仕事の打ち合わせや講習会などを受け

夕方は公園に付き合い、ほんとうに何事もなかったようだった。

保険の電話も、手続きもとても冷静な自分がいた。

 

でもね。

夜ごはんをつくり終えて

少しホッとしたときに

夫と電話をしていて

ふっと怒りがわいた。

 

台車の手配をしたよという報告を受けていた。

そのときにね

【あれ?朝から何度かやり取りをしているけど、わたしに大丈夫って気遣ってくれてないなぁ】

なんて思ったの。

 

そしたらなんだかすごく悲しくなった。

それでね、わたし怒って

「どうしてあれから大丈夫って聞かないの?」

とかなんとか言っていた。

怒りのパワーでね。

 

「最初に聞いたときに大丈夫って言っていたし

とても冷静に対応していたり、相手の人との話もなんだか楽しんでるし大丈夫だと思って・・・」

と夫。

 

それにも言い分をぶつけた後に

ハッとした。

 

いや、待てよ。

わたしはわたしに「今は身体の調子はどう?大丈夫?」

そうやって聞いたか?

聞いてない。

相手の気持ちばかりに目を向けて

自分は何を感じていたかそこに目を向けてなかった。

自分のことなのに・・・

 

わたしは「身体、大丈夫?」って

そうやって聞いてほしかったんだ。

 

自分でね

自分に聞いてみた。

自分の声に耳を傾ける。

 

そしたらでてきた・・・

怖かった。とても怖かった。

待っている間や現場検証を受けている時間がストレスだった。

保険会社とのやり取りも。

レンタカーを選ぶのも。

 

そしたら、気持ち悪くなって

痛みや違和感がでてきた。

 

我慢していたんだね。

そうやって自分に言ったら泣けてきた。

 

我慢をする。

そうやって小さな違和感や疲労や痛みをないものにしていく・・・

そうしないとその時間をやり過ごせないから。

でも身体は声をあげてくれている。

イライラするとか、怒りとか、うまくいかないとか、痛みとか

目の前の人や出来事を通じて

いろんなサインで。

そうやって自分に気づいてってそうやって出してくれている。

 

自分に向きあうことは

自分で自分のご機嫌をとることができる。

自分がどう思っていて

どうしたいかを自分で決めることができる。

 

いろいろ通じることがあるなぁ

そんな風に思う。

 

本当の優しさって何だろう?

怒りっていらないもの?

 

見方が変わるとまた変わってみえる。