「日々の暮らしの中でどうにもならないことのが多くて、あきらめたりポジティブに見えるような考え方がいつのまにか身についたんだと思うんだよね」

 

この友人の言葉は今現在仕事や夢に一生懸命な年下の仲間に向けられたものだったけど

あぁほんとうだなぁと思ったの。

 
決められたことでもなく
自分の中でやりたくてやりはじめたことって
限界は自分が決めないとやってこない。
 
自分だけに時間をつかえていたあの日々は
自分の納得いくまでその期限がくるまで
苦悩とチャレンジとまた頭をかきむしってへこんだりしながら
でもあきらめたくなくて過ごしていて。
でもひとりじゃなかったから
息抜きで友達やらまわりの人がそこからほっとしたり爆笑する空間に連れ出してもらっていたのかも。
 
でもねー
子育てってほんとうに先が読めない。
自分だけの時間なんて作らなきゃないし、
今日なにが起きるかなんて予定でしかない。

予定は未定。
まさにそれ。
 
今日と明日は違うの。
さっきと今も違う。
 
今日食べたものを翌日は「いやだ」って拒否するし
今にこにこしていても、1時間後はひっくり返って大泣きだってしてたりするし
なぜか食事の用意の間に、調味料がひっくり返った状態のときに、トイレに行きたいと言い、さらにチャイムがなって宅配が来たりする瞬間があったりするのよ。
 
そういう何気ない生活のなかで
その状況を笑うしかないような状況のなかで
あきらめたものはまたいつかタイミングがきたらまた出会えるということを体感したり
ネタにしてげらげら笑ったりする術が身についたのならそれってかなりの素晴らしいいおまけだなぁと思った。
 
だってそんなの目指したわけじゃないもん(笑)
日々あきらめたくても、あきらめられないで必死に暮らした結果、なぜかあったおまけのような感じがする。
 
でもそれを素晴らしいおまけだと思えるのも
自分に時間が使えるときはがむしゃらに向き合ってきた日々があったからだと思うし。
今こうやってどったばたな生活の中でそういう力が身についていったのは
調味料をひっくり返してお酢まみれで笑う子どもたちがいたり、
自分には理解不能な学び方を提案する年長者からの圧から逃げることだったりする(笑)し、
そういう素晴らしいおまけを持っていることに気づけたのは
その年下の仲間のおかげだったり・・・
 
と思うといろんな世代でただある生活を営むってなんかいいかも。
なんて思うなぁ・・・
いろんな感情を感じながら、素直に行動しながら、なんかわからないモヤモヤやめちゃくちゃな日々になんとなく流されたり向き合わさざるを得なかったりしてマイペースにねー照れ