あなたは思い出したことを、しっかりと身につけたようだね。
これで、はっきりとわかっただろう。
おかげさまでわかったと思いますよ。
ようやく「真実」をつかんだ、というか、ほんとうに理解したと思います。
ものの言い方に気をつけたほうがよろしい。
あなたは「自分の真実」と言うつもりだったんだね?
客観的現実として存在する「真実」などないのだから。
視点が認識を創り、認識が経験を創る。
認識があなたのために創った経験、それがあなたの言う真実だよ。
あのたの真実とは、じつはあなたの経験だ。
そのほかすべて誰かが経験し、あなたに語ったにすぎない。
それはあなたとは何の関係もないのだ。
客観的現実というものはないんですか?
ない。「客観的現実」というのはことばとして矛盾している。
それじゃ、なにごとも見えているとおりじゃないとおっしゃるんですか?
その反対だよ。
すべては「見えている」とおりだ。
そしてどう見えるかは認識によって決まる。
認識は視点によって決まるし、視点は客観的ではない。
主観だよ。
それはあなたが経験する何かではなくて、選びとる何かだ。
さっきもそうおっしゃいました。
でも、よくわからなかったし、いまさもよくわかりません。
わたしは自分の視点を選んでいるんですか?
そう、選んでいるのだ。
それがあなたの創造のプロセスだ。
そんなこと、信じられないなあ。
それでは信じないだろうな。
その結果……。
そう、その結果、あなたは、それを経験しないだろう。
そうなると自分が望む視点を選んでいると信じなければ、わたしは望む視点を得られないのか。
そういうわけだ。
なぜなら、それがわたしの視点だから。
なぜなら、それがあなたの視点だから。
その視点はあなたの認識を変え、認識はあなたの経験を変える――そしてあなたの経験は視点を再強化するね。
(続く)
「神へ帰る」(ニール・ドナルド・ウォルシュ著) p118~120
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昨日の夕方TVをつけたときに繋がったニュース番組では、熊の出没ニュースが流れていました。
最初はある場所で竹の子堀をしていた老夫婦が襲われたという話。
続いて日光のある小学校の庭に現れたと。
前のブログの「日光の華厳の滝」からの「日光」つながり、と思っていたら……。
その場所は「華厳の滝」からも400メートルほどの距離との説明とともに「華厳の滝」も映し出されました。
先ほどTVをつけ、チャンネルを切り替えていたらある情報番組で、天皇・皇后を招いての晩餐会でのチャールズ国王のスピーチの中では、「ジブリ」、「千と千尋の神隠し」の話題に触れる箇所もありました。
毎日のように「滝」のシーンが現れるのは、日々、浄化しなさいということかしら?
「千と千尋の神隠し」では、「ゼロになるからだ 満たされてゆけ」と、まだまだゼロになっていない〈私〉へのメッセージ?
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〈追記〉
17時からあるニュース番組を観ていたら、茨城県の「月待ちの滝」が映りました。
近くに「空飛ぶそうめん」という名物があるそうです。
(17:15)