先生の存在が、〈問い〉だらである。

大澤真幸


何かを知ろうとすれば問を立てなくてはならない。


そして良く問うには先生が必要だと、社会学者は言う。


正解を先に手にしている人ではなく、より深い未知に身を開いてゆける人として。


人生の意味は何かある目的達成にあるのではなく、日々の歩みの在りように懸かっている。


実際、教わった知識はまたたく間に忘れても、先生の背中は忘れない。


『私の先生』から。



2024.6.22 朝日新聞  「折々のことば  鷲田清一」から。

***************


昨日は雨の中、長兄の七回忌の法要へ出かけました。


ご住職の読経の後、御堂に祀られている阿弥陀様の由来、歴史などの説明や、私たちの心臓も呼吸も意識せずに働いていて、私たちは生かされている、などのお話を少し。


「質問はありますか?ないですよね?」と背中を向け立ち去ろうとした住職へ、「思考も自分のものではないですよね?」と〈私〉の口からことばが。


昔の〈私〉には考えられない行動ニコニコ


ご住職が向き直り私の側にいらっしゃり、「はい、思考も感情も上がってくるが自分のものではありません」。


「エゴが自分のものとして掴んで苦しむのですよね?」と私。


「どんな感情も、怒りさえもただ感じていれば消えていきます」のようにご住職。


そんな短いやりとりでしたが、ご住職は近くにあったご自身が講師をつとめている「親鸞講座 歎異抄の劇薬性を味わう」という講座のチラシを私にだけ下さいました。


6回のうち、すでに3回は終了しているのですが……。


さて、どうしよう。


会食のとき、どうしても昔話なども多く、少しネガティブな記憶にまつわる話などもしたせいか、帰宅後急激に右手首や指が痛みだし、右手が使えない状態に。


出かける前から少し痛みのあった左股関節も痛みが増して、夜中は両方の痛みにあまり眠れずに過ごすことに。


朝軽く食事をして痛み止を飲み少し眠ったせいか、痛みがやわらいできたような……。


家族間のネガティブな過去には、まだ痛みや怒りが残っているようですので。


だいぶ薄くはなっているけれど……。


*******


そんな時でも昨夜は、「ベスコングルメ」という番組で、シンクロ多発の隅田川に架かる橋シリーズから、前日書いた「永代橋」を渡るシーン。


そしてお風呂上がりにTVをつけた時は、「おしゃれクリップ」という番組のゲスト上戸彩さんが小さいごろ住んでいた街として「光が丘」の街並みが紹介されているシーンでした。


他にはやはり毎日のように「滝」に関するシーンも。


よいこともよくないと思われることも起きては過ぎていく。


〈11:13〉

******


いま本日の朝日新聞夕刊を開いたら、大きく「華厳の滝」……ない?のタイトル。


〈上流の中禅寺湖 水位が足りず〉と。


なぜ続く「滝」のシンクロ?ニコニコ


(17:05)