わたしは、何かやらなければならないことがあってここにやってきた、とおっしゃるわけですか?
そのやるべきことをなし終え、終了したら、立ち去るときが来るのだと?
やらなければならないことではなくて、あなたが経験しようと選んだことだよ。
あなたと神がひとつなら、あなたがしなければならないことは何もない。
すべての決断は自由意思から生まれる。
すべての選択が自由意思の表れだ。
前に話したように、あなたは、あなた自身のある側面を経験するために身体に宿った。
その側面はあなたの行動によって――物理的な世界の行動によって――経験されるかもしれないし、特定の在り方によって、あるいは何もしないことによって、経験されるかもしれない。
よくわからないなあ。
例をあげていただけますか。
ここでは「死」と「死にゆくこと」について話しているから、葬儀を例にとってみようか。
あなたが葬儀に参列しているとしよう。
あなたは何もしない、ただ、座っているだけだ。
ほとんどの身動きもしない。
しかしあなたは何かである、そうだろう?
あなたはとても、悲しいかもしれない。
あるいはひそかに喜んでいるかもしれない。
どちらもありうる。
それはあなたの見方によって――この場合「死」をどう見るかによって――おおきく左右される。
視点が認識を創るってことですね。
そう、そして、それが、あなたの在り方の創造方法でもある。
あなたが悲しいなら、それはあなたのものごとの見方のせいだ。
葬儀でひそかに喜んでいるとしたら、それもまったく同じことの理由だ。
ものごとをどう見るかは、あなたが選らんでいる。
自由意志による選択が、あなたは何であるのか、何になりたいのか、そして自分自身をどう経験したいかを決める。
どんな状況でも、「それをどう見たい」と思うかを変えれば、視点を返変えられる。
何を見たいかを決めて、見たいものをそこに置けば、それが見えるのだよ。
ああ、それもすごい言葉だな。
そうだね。
とても力強い言葉だ――そうでない場合はべつだが。
そして、決めるのは誰だと思う?
わたしです。
そう、あなただ。
そのとおり、あなたが決める。
あなたがどう観るかによって、それが力強い言葉なのかどうかを決めるのだよ。
たから因果は循環する。
見るものを得るし、得るものを見る。
(一部略)
あなたは、自分が自分の体験の絶対的な因(もと)である宇宙を信じろ、とおっしゃっている。
そういう宇宙にあなたは生きている。
でも、そんなふうには見えないんです。
そして、あなたが視点を変えるまでは、そんなふうに見えることはないだろう。
あなたが見ないものは、見えはしないのだよ。
なるほど、たしかにあなたは知恵者だ。
あなたが知っているよりもずっと知恵者だ。
見れば信じられる、と言うひとがいる。
信じれば見られる、とわたしは言おう。
「神へ帰る」(ニール・ドナルド・ウォルシュ著) p104~108
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また昨夜でました「千と千尋の神隠し」。
ふだんほとんど観ないMステーションを20分ほど観ていたらビリー・アイリッシュが出演して、タモリさんとの会話の中で、質問は聞き逃しましたが、好きなものが「千と千尋の神隠し」と。
またやはり、午後の情報番組を20分ほど観ていたとき、最近シンクロが起きているヨガ関連で。
昨日は国際ヨガデーだったそうで、雨の中築地本願寺の境内に1700人が集まり、呼吸やヨガのポーズをした映像が流れました。
他には最近なぜかアンパンマンのシンクロも多い
漫画のようなシンクロ世界の担当からでした🙋
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〈追記〉
昨夜の「ナイン・ボーダー」の中で、長女と次女が「しあわせって何だろう?」と。
長女「誰かと一緒にいることが幸せだと思っていたけど、幸せにはならなかった」(長女は離婚を経験している)
話を聴いていた近所のカフェの女性オーナーは、
「私は私のままでいいって……そう思えることじゃない?」
とつぶやくように。