波は大洋と同じことを小さなスケールでしているんですね。



そう、その通り。


あなたは、あなたのやり方で行動するわたしだ。


わたしはあなたに、あなたのやり方で行動する力を与える。


あなたの力は、わたしから発している。


大洋がなければ、波は波として存在する力をもたない。


わたしがなければ、あなたはあなたとして存在する力をもたない。


そしてあなたがいなければ、わたしの力は表されない。


あなたの喜びはわたしを表すことだ。


人間の喜びは神を表すことだ。



すごいお言葉ですね。



まだあるよ――生命とは、物資界で表された神である。


ここで大事なのは、生命が物資界に神を表すやり方はひとつではない、ということだ。


それを、理解しておかなくてはいけない。


ある波は小さな波だろうし、ある波はとほうも、なく巨大ですべてを押し流すだろう。


しかし小さくても波は波だ。


大洋に波がまったくないことはありえない。


波のひとつひとつは違っていても、どの波も、大洋そのものと分離はしていない。


違いは分離を意味しない。


この二つは同義語ではない。


あなたは神と違うが、しかし神と離ればなれではない。


あなたが神と離ればなれではないという事実、それがあなたは決して死ぬことがない理由だ。


波は浜辺に打ち寄せるが、存在しなくなるわけではない。


かたちを変えて、また大洋に戻っていく。


大洋は波が浜辺に打ち寄せるたびに、「小さく」なったりはしない。


それどころか、また大きな波が打ち寄せて、大洋の偉大さを示す。


そして波は大洋に戻っていって、大洋の栄光を取り戻す。


波の存在は、大洋の存在の証だ。


あなたの存在は、神の存在の証だ。



いまの言葉を冷蔵庫に貼り付けておかなくちゃいけないな。


「あなたの存在は、神の存在の証だ」。


とってもシンプルで、しかも優美な説明ですよ。


それじゃ、「神が、神のみが」私たちは死期を選ぶという言葉も、人間がそのプロセス、一部だといっているのと同じなんですね。


だって、人間は神の一部なんだから。


そしてわたしが死ぬとき、その死は「わたしに」ではなくて、「わたしを通じて」起こる。


そう、そのとおり。


さあ、あなたの見方は変わったろう。


視点が変わった。


それによってあなたの認識も変わる。


それがあなたの経験を変える。


認識が経験を生み出すのだから。



「神へ帰る」(ニール・ドナルド・ウォルシュ著) p102、103

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16日のブログに「千と千尋の神隠し」がシンクロしていると書いています。


「千と千尋の神隠し」は今年初めごろもたびたびシンクロがおきましたが……。


昨夜台湾の九分(正しくは人偏+分)という屋台村を食べ歩くという番組を観ました。


そこは「千と千尋の神隠し」の舞台に似ていると噂されている場所らしく、番組中に2度「いつも何度でも」がBGMで流れました。


今朝20分ほどTVをつけたら最初に日テレにつながり、今年の24時間TVのTシャツのデザインはスタジオジブリが提供すると。


テーマは「愛は地球を救うのか?」。


知りませんでしたが、今年24時間「愛は地球を救う」の番組内部で募金着服という問題が発覚していたそうで、番組続行を検討した結果、タイトルが変更になったという話も。


その後チャンネルを切り替えてTBSのバラエティー番組へ。


画面隅に当日の主な内容を2、3字幕で紹介されていて、中に「まるでジブリのような新居」云々のタイトルが!ニコニコ


そこでスイッチオフ。


〈私〉は、小波の漫画のようなシンクロ世界の担当かしら?ニコニコ


「ゼロになるからだ 充たされてゆけ~

海の彼方にはもう探さない

輝くものはいつもここに

わたしのなかに見つけられたから~」

(いつも何度でもから)



「手を放す 軽くなる 満ちてゆく」

("満ちてゆく"by藤井風)