――神とは何で、誰なのか、ということだな。


「神」と「生命」は同じものである。


したがって、「神は完璧だ」というのは、生命は完璧だと言うのと同じことだ。


その「システム」は完璧なバランスで存在している。


すべては完璧なタイミングで、完璧な方法で起こる。


極めて狭い人間の経験という視点からは、いつもそれを見抜き、感じ取れるとは限らないがね。


それが物理的な世界の限界だ。


しかしその限界を克服することはできる。


多くの「預言者」や「賢者」は、異なる視点を選ぶことで、この知覚の限界を克服した。


だが残念なことに、彼らのメッセージは無視されることが起こる。


彼らの洞察は、しばしば過小評価される。


さらには、彼ら自身が非難されることもたびたびだ。


だから、見えない者が見えない者を導き続けている。


あなたがたは、見える者の言葉を聞こうとしない。


そこで、聞く耳を持つ者は聞きなさい。


「神の王国」において、不完全ということはありえない。



それはそうでしょうが、この地上ではどうなんですか?



「この地上」は神の王国だよ。


神の王国の一部でない場所など、どこにもない。



でも、わたしはこの地上は「べつもの」だと考えているんですよ。


この地上での生命は、「神の王国」に入れてもらうために与えられた試練であり苦難だと思っているんです。


そして死はそこに通じる道だって。



「神の王国」に通じる道などないよ。


「神の王国」は出たり入ったりする場所ではない。


あなたがたが常に「いる」場所だ。


あなたがたがいる場所はそこしかない。



「神へ帰る」(ニール・ドナルド・ウォルシュ著) p217、218

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11日のブログに「青い鳥」のシンクロ話を書いていますが……。


その夜代理出産をテーマにしたドラマを観ました。


登場人物の一人に人気イラストレーターの女性がいるのですが、彼女が依頼を受けて取り掛かっているテーマは、「ありのままの幸せ」


シーンに登場する何枚かのイラストの中に、小さな女の子が空の鳥かごを持っていて、隣には小さな男の子。


彼らに向かって一輪の花をくわえた白い鳥が空から飛んでくるような絵。


「青い鳥」のチルチル、ミチルを連想させるようなものでしたニコニコ


ここ二日のシンクロの中には、「ヨーガ」またも「清澄庭園」、そして「人力車」「レバー」etc.


そしてひとつきほど毎日のように「滝」に関するものが。


近々都内の人工滝でも見に行こうかな?





〈追記〉

昨夜なかなか寝つけずに午前1時台のドラマを途中からぼーっと観ていたら、エンディングのシーンが何やらまたも隅田川沿い遊歩道では?と。


いま検索したら、清洲橋の先の「永代橋」のところだったとわかりました。


隅田川に架かる橋の下の遊歩道、かなりロケ地に使われているようです。


だからどうした?ニコニコ


(13:40)