ベルギービール醸造所組合から認定されるベルギービール・テイスターを本日更新しました。

100 種ごとに認定を更新し,とうとう 1,000 に到達したので,これで 10 回目の認定となり,「殿堂入り」が確定しました。

「殿堂入り」というのは,筆者が勝手に使っている言葉なのですが,銀座ファボリに飾られている 10 回目認定達成者プレートの並びに,おこがましくも近い将来ご一緒させていただくことになります。

無理な飲酒はしないので,少しずつゆっくりと味わいながら,約 13 年かけての達成でした。

 

本日は,銀座ファボリの 23 周年のお誕生日(開店記念日)で,お店のお祝いをさせていただき,その傍らで 1,000 本目の認証を受けました。

記念すべき(勝手に自己満足で記念していますが)1,000 本目は,予め店長の佐瀬さんにご用意をお願いしていた Chimay Blue Magnum(1.5 L の大瓶)です。

もちろん,9% のストロング・ビール 1.5 L(エタノール換算でアルコール量 108 g,すなわち日本酒 5 合分相当)を一人で平らげることはできませんので,お店の記念日でもあり,皆さんにお分けして乾杯していただきました。

 

 

Chimay Blue Grand Reserve Magnum, Vintage 2024

 

ここに至るまでに,たくさんの発見と出会いと喜びがありました。

関係するすべての方々に心より感謝申し上げます。

 

ここまで,大バッハ作曲の管弦楽組曲を 1 曲ずつ取り上げてきました。

今回は,イタリアの作曲家ジュゼッペ・マルトゥッチ(Giuseppe Martucci, 1856-1909)によるピアノ独奏編曲版を取り上げます。

 

大バッハの真作とされている管弦楽組曲 4 曲(BWV1066-1069)は,マックス・レーガー(Max Reger, 1873-1916)によって 4 手のピアノ連弾用に編曲されており,1911 年頃にペータース出版社(Edition Peters)から出版されています。

レーガー版は,既にいくつかの録音もあり,ピアノ編曲版としてはとりわけ有名ですし,レーガーの理解度が高かったこともあって,編曲の出来栄えもなかなかのものです。

レーガー版の特徴としては,4 曲すべてを編曲しており,4 手用なので最大 20 本もの指を使いうるため,原曲の音符を極力漏らさないように詰め込んでいて,ピアノという楽器を使いつつも,大バッハが書いた楽譜に忠実な編曲を目指していることが挙げられます。

もちろん,20 世紀初頭のことで,しかもピアノを用いたわけですから,当時のピアノが現在のピアノとは造りや響きが異なっているとはいえ,バロック時代との乖離は明白です。

それでも,レーガーが大バッハの楽譜をよく読み込んでいたことは,その編曲版から十分に汲み取ることができます。

 

一方,マルトゥッチ版は,第 4 番を欠いており,第 1 番から第 3 番までの 3 曲だけとなっています。

なぜ第 4 番の編曲がなされなかったのか,筆者にはその理由を調べ上げることはできませんでした。

マルトゥッチ版は,ピアノ独奏用なので,当然ながら 2 本の手,すなわち 10 本の指にゆだねられるわけですから,レーガー版のように原曲の音をひたすら詰め込むという戦略がさすがに成り立ちません。

そのような制約があるがゆえに,マルトゥッチのバッハ解釈が,よりくっきりと浮かび上がっています。

なお,マルトゥッチ版はレーガー版に先行して 1890 年代に作成・出版されており,マルトゥッチがレーガーを模倣したということは考えにくく,マルトゥッチの独創性が高いということも強調しておくべきでしょう。

細かいことまで取り上げると枚挙にいとまがないので,ここでは筆者が特に面白いと思った数点についてだけ述べることにします。

 

マルトゥッチ版は,大バッハゆかりの都市であるライプツィッヒのブライトコプフ出版社(Edition Breitkopf)から 1 曲ずつ出版されています。

出版譜の番号が第 1 番から順に Nr. 3477,Nr. 3478,Nr. 3479 と連番になっているので,編曲時期や完成時期にいくらかのばらつきはあったとしても,連作という認識で間違いないでしょう。

譜面は近代的なピアノ譜の体裁になっており,大バッハのクラヴィーア作品の自筆譜のように各声部が厳密に書き分けられているわけではありません。

そのため,譜面上は各声部の横の流れがわかりづらく,対位法書法による声部の独立性よりも,縦の和声の方が目につく体裁です。

また,ピアノ独奏なので,手が届かない離れた鍵盤の音を鳴らしたい箇所は,譜面上は装飾音として記されていて,サスティン・ペダルを踏んでその装飾音の響きを残しつつわずかな時間差で別な音を鳴らすなど,ピアノらしく広い音域にわたるダイナミックな演奏が要求されています。

 

第 1 番の序曲の冒頭を見てみると,通奏低音に由来する低音部を左手がずっと平行 8 度でたどっていきますが,これについては原曲においてチェロとヴィオローネが平行 8 度で通奏低音を担っているのを模倣していると思えば自然な表現です。

一方,上声部の第 1 ヴァイオリンに由来する声部も,多くの部分において平行 8 度で重ねられています。

これは,実際に聴いてみると,メロディーがとても輝いて前に出てくる効果があり,原曲において第 1 ヴァイオリンとオーボエがユニゾンになっているのとはまた違った趣で,なかなか個性的な編曲です。

 

第 1 番序曲の冒頭部分

低音部が平行 8 度で強調されていますが,高音部でも平行 8 度の箇所が目立っています。

 

フーガに入ると,フーガという性格上もあってか,原曲の対位法が強調され,整然とした 4 声体で書かれています。

指が足りないという事情もあるのでしょうが,通奏低音に由来する低音部は 8 度で重ねずに単音になっており,うるさすぎないように調整されています。

しかし,低音部がずっと単音で構成され続けているわけではなく,その後は 8 度でガンガン鳴らす箇所も出てくるので,曲想によって低音部を書き分けていると思われます。

 

同曲後半フーガの開始部分

ここでは,4 声の対位法としての書法がわかるような記譜法になっています。

 

第 3 曲のガヴォットでは,上 3 声を指が足りる限り右手だけで担い,左手は通奏低音のパートをほとんど平行 8 度で弾き続けます。

これがマルトゥッチの編曲の基本形のようです。

 

第 1 番第 3 曲の第 1 ガヴォット

4 声の対位法ですが,楽譜が和音の羅列として書かれているため,各声部の横の流れはわかりづらくなっています。

 

第 2 番についても,第 1 番と編曲姿勢に大きな変わりはないのですが,終曲バディネリにおいて,やはり通奏低音のパートを執拗に平行 8 度で鳴らしつつ,フラウト・トラヴェルソと弦楽器の上 3 声をほとんど右手だけで弾き続けるという過酷な試練が課されており,まったく躊躇がありません。

もはや笑うしかない芸当であり,まさに「バディネリ」すなわち「冗談」を地で行くような編曲になっています。

しかしながら,サーカスの綱渡りを彷彿させるような,緊張感に満ちたひきつった笑いというところでしょうか。

 

第 2 番終曲バディネリの前半部分

これをインテンポで演奏するのは至難の業です。

 

同曲の最後の 9 小節

ほぼ原曲通りなので,右手が酷使されており,手がもう 1 本欲しいぐらいです。

 

さて,第 3 番は,前 2 曲とは編曲スタイルがやや異なっています。

それもそのはずで,原曲では 3 本のトランペットとティンパニが登場しますので,それらの模倣が随所にみられます。

まずは序曲の冒頭から低音のトレモロが華やかさを演出しています。

レーガー版でも同様に,ティンパニの模倣としてトレモロが多用されてはいますが,マルトゥッチ版の第 4 小節後半の低音域に駆け下りていく刺激的な表現はなかなか個性的ではないでしょうか。

 

第 3 番序曲の開始部分

ティンパニの模倣とみられるトレモロのために楽譜が真っ黒に見えます。

第 4 小節後半(3 段目)では,低音域に駆け下りていき,低音感がより強調されています。

 

フーガのところは,第 1 番や第 2 番と同様に,対位法的書法が強調されています。

それでも,通奏低音に由来する左手の低音部に,意地のように平行 8 度が多用されているところには凄みが感じられます。

 

同曲後半フーガの開始部分

対位法が重んじられており,各声部を書き分けた体裁になっています。

 

音響的な面以外で,マルトゥッチの原曲に対する理解の深さを垣間見ることができる箇所があります。

終曲ジーグの編曲においては,前半の最後のところで,弦楽合奏の部分だけが取り上げられており,トランペットとティンパニは無視されています。

マルトゥッチが,あたかも大バッハの弦楽合奏のみによる初期稿の存在を確信していたかのような編曲ぶりです。

 

第 3 番終曲ジーグの冒頭

冒頭では主旋律を 8 度で重ねており,トランペットの華やかさが模倣されています。

 

同曲前半の最後のところ

ここでは,弦楽合奏に由来する音符のみが書かれていて,トランペットとティンパニのパートの模倣は放棄されています。

 

マルトゥッチの編曲は,あくまでもピアノという楽器の特性を活かした編曲であり,管弦楽曲をピアノでどう模倣するかということに心血を注いでいて,大バッハのクラヴィーア曲,とりわけチェンバロ独奏曲のように,チェンバロ演奏を前提としたデリケートなアーテュキュレーションを踏まえたものではありません。

その点において,大バッハ自身が行った,ヴィヴァルディなどの他の作曲家の協奏曲からのチェンバロ独奏用編曲とはまったく別な世界です。

しかし,現代のバッハ演奏やバッハ解釈の端緒となる研究が盛んになるよりもずっと前の 1900 年頃という時期の編曲ながらも,大バッハの原曲をしっかりと読み込んだ上で,原曲の音楽性を決して損ねることなく,ピアノという楽器を用いての新たな表現を追求することに成功しているには違いありません。

にもかかわらず,演奏至難なこともあってか,マルトゥッチ版が顧みられることがなかったようで,最近まで録音もなされていませんでした。

コロナ禍の 2020 年 7 月に,イタリアのキアーラ・ベルトリオが録音したのが,世界初録音とされています。

レコード会社が「世界初録音」とうたっていても,調査不足や誇大広告で嘘のことが少なからずあり信用ならないのですが,本 CD については,筆者が知る限り,確かに前例はありません。

ベルトリオの演奏は素晴らしく,大バッハもマルトゥッチも深く理解し,高度な技巧が要求されている中でも冗長にならず,むしろ繊細な表現がなされていることに感銘を受けます。

そして,難易度を感じさせないベルトリオの優れたテクニックにより,べらぼうに高い演奏技巧が要求されているにもかかわらず,演奏の難しさに耳が引っ張られることなく,大バッハの原曲の持ち味である整然とした構築感を体感することができます。

特筆しておくべきこととして,ベルトリオは録音に当たって,リストが溺愛したシュタイングレーバーのグランドピアノを使用しています。

瞬発力と響きの透明感が印象的で,楽曲のスケール感を考慮すると,やはりこの楽器でなければならなかったのでしょう。

この楽曲,この演奏を通じて,19 世紀末のピアノ音楽のロマンティシズムの先にある新古典主義が見えてきます。

 

キアーラ・ベルトリオの演奏による CD のジャケット


【CD データ】

レーベル:Da Vinci Classics

CD 番号:C00644

J. S. Bach(Giuseppe Martucci 編曲)

 管弦楽組曲ピアノ独奏編曲版

   第 1 番 ハ長調

   第 2 番 ロ短調

   第 3 番 ニ長調

Chiara Bertoglio, Piano

 

組曲 第 5 番 ト短調 BWV1070

Ouvertüre Nr. 5 g-Moll BWV1070

 

【楽器編成】

ヴァイオリン I

ヴァイオリン II

ヴィオラ

通奏低音

 

【楽章構成】

1. 序曲 Ouverture

2. トルネオ Torneo

3. アリア Aria

4. メヌエットとトリオ Menuetto & Trio

5. カプリッチョ Capriccio

 

 

組曲第 5 番ト短調 BWV1070 は,大バッハの弟子でもあったペンツェル(Christian Friedrich Penzel)の筆写により,大バッハの死後,1753 年頃に作成されたパート譜が原典です。

 

註:管楽器のパートはなく,弦楽合奏のみの編成なので,「管弦楽組曲」と呼べないため,ここでは単に「組曲第 5 番」と記すことにします。

 

大バッハの次の世代の多感様式による作品であり,偽作とほぼ断定されています。

作風からみて,大バッハの長男のヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(Wilhelm Friedemann Bach)の作曲に間違いなさそうです。

 

序曲の冒頭部分(旧バッハ全集)

4 段目のパート名が “Cembalo” となっています。

 

旧バッハ全集のスコアでは,冒頭に 4 段目のパート名として “Cembalo” と記されていますが,これは “Continuo” の誤記だと思われます。

Continuo(通奏低音)をチェンバロが担うのは一般的だとしても,チェンバロだけが担うのではなく,ここではチェロとヴィオローネも想定されているはずです。

第 4 曲の「トリオ」の冒頭では,このパートのところに “Violoncello solo” と書かれており,他の箇所ではチェロ以外の楽器がチェロと一緒にこのパートを担っていることが示唆されていますので,やはりこのパートは “Continuo” に相違ありません。

 

第 4 曲のメヌエットと対になっているトリオの冒頭部分(旧バッハ全集)

4 段目のところに “Violoncello solo” と書かれています。

 

「序曲」は,緩急二部分で構成されていますが,緩徐な前半部分は,「フランス風序曲」に特有な付点リズムが排除されています。

大バッハの作品(真作)で,このようなリズムの「序曲」は他に例がありません。

後半は,テンポを速めて二重フーガが展開されますが,前半部分と同様なスタイルのテンポを落としたコーダはなく,そのまま終結します。

 

2 曲目の「トルネオ」は,南ドイツやオーストリアのギャロップ(馬の駆け足)を模倣した舞曲と言われています。

大バッハの作品で「トルネオ」と題された曲はありません。

 

3 曲目は「アリア」ですが,遠隔調の変ホ長調で書かれています。

大バッハの組曲で遠隔調に飛ぶ楽章は見当たりません。

 

第 3 曲アリアの冒頭部分(旧バッハ全集)

調号はフラット 2 つですが,当時の習慣上,フラットを 1 つ少なくして記されており,変ロ長調ではなく変ホ長調で作曲されています。

 

4 曲目は「メヌエット」で「トリオ」を伴っています。

「メヌエット」はト短調に戻りますが,「トリオ」は同名調であるト長調です。

 

終曲は「カプリッチョ」で,緊張感のあるフーガ仕立ての秀作です。

序曲後半のフーガと同様に,ここでも二重フーガとして作曲されており,高度な作曲技法が光ります。

 

大バッハの真作である 4 曲の管弦楽組曲の人気に比し,この組曲は偽作ゆえにあまり顧みられることがなく,不当に過小評価されているように思います。

大バッハの作品ではないとしても,組曲第 5 番自体は熟練した作曲技法に支えられつつ強烈な精神性が表現された逸品です。

せっかくの個性的な作品が,誤って大バッハの「管弦楽組曲」と一括りにされてしまったがゆえに,爪弾きにされる不幸な運命に陥ってしまっていることは大変残念です。

 

 

管弦楽組曲 第 4 番 ニ長調 BWV1069

Ouvertüre Nr. 4 D-Dur BWV1069

 

【楽器編成】

トランペット I-III

ティンパニ

オーボエ I-III

ファゴット

弦楽合奏(ヴァイオリン I & II,ヴィオラ,通奏低音)

 

【楽章構成】

1. 序曲 Ouverture

2. ブーレ Bourrée I & II

3. ガヴォット Gavotte

4. メヌエット Menuet I & II

5. レジュイサンス Réjouissance

 

 

管弦楽組曲第 4 番 BWV1069 は,ニ長調で作曲されており,3 本のトランペット,ティンパニ,3 本のオーボエ,ファゴットが弦楽合奏に加わった編成の豪華版です。

序曲に続く 4 つの楽章のうち,3 つはフランス舞曲(ブーレ,ガヴォット,メヌエット)で,舞曲ではないレジュイサンスが終曲に置かれています。

「レジュイサンス(Réjouissance)」は喜びの意味です(英語では rejoicing)。

祝祭的で華美な組曲ですが,終曲までも「歓喜」に満ち満ちており,大編成が似つかわしい力作です。

 

管弦楽組曲 第 4 番 BWV1069 のスコアの冒頭〔新バッハ全集(NBA)〕

 

i) カンタータ第 110 番への転用

カンタータ第 110 番 BWV110「われらの口には笑いが満ち(Unser Mund sei voll Lachens)」は,1725 年のクリスマス(降誕節)第 1 祝日(12 月 25 日)に初演されました。

大バッハにとっては,ライプツィヒの聖トーマス教会のカントル(音楽監督)に就任して 3 回目のクリスマスです。

大バッハは,カントルに着任後,数年にわたりクリスマスの喜びを盛大に祝うカンタータを毎年新しく作曲して披露していましたが,3 回目の 1725 年のクリスマスにカンタータ第 110 番を作曲するにあたっては,その第 1 曲である合唱曲に,管弦楽組曲第 4 番ニ長調 BWV1069 の序曲を転用しました。

確かに,大バッハの現存する管弦楽曲の中で,クリスマスを祝うには最適の選曲です。

キリストの降誕を華やかな序曲で表現するという発想も,実に当然と言えば当然です。

大バッハは,この序曲を改作するにあたって,トランペット I-III,ティンパニ,フラウト・トラヴェルソ I-II,オーボエ I-III,ファゴット,弦楽合奏(ヴァイオリン I-II,ヴィオラ,通奏低音)と 4 声合唱(ソプラノ,アルト,テノール,バス)による 18 声部のいっそう大掛かりな編成にまで大胆に拡大しています。

 

カンタータ 第 110 番 BWV110 のスコアの冒頭〔新バッハ全集(NBA)〕

上から順に,トランペット I-III,ティンパニ,フラウト・トラヴェルソ I-II,オーボエ I-III,ファゴット,ヴァイオリン I-II,ヴィオラ, ソプラノ,アルト,テノール,バス,通奏低音の 18 声部が縦にずらりと並んでいます。

 

後述するように,管弦楽組曲第 4 番ニ長調 BWV1069 にも金管楽器なしの初期稿があったと考えられていますが,ジョシュア・リフキン(Joshua Rifkin)は,カンタータ第 110 番への転用は,金管楽器を含む最終稿からではなく,金管楽器なしの初期稿からなされたものと推測しています。

ところで,本題から少々それますが,カンタータ第 110 番のオリジナル・スコアを見ると,第 1 曲の前奏が終了して合唱を含むフーガに突入するところに,大きく × を書いて消してある箇所があります。

その消された箇所をよく見ると,前半(前奏部分)の反復のためのつなぎの小節であることがわかります。

原曲からそのまま写し取ったものの,カンタータの作曲過程で前半の反復の指示を削除したようです。

後半部分(フーガとコーダの部分)にも反復の指示はありませんが,そこには消した痕跡はなく,初めから後半の反復はなしにするつもりだったようです。

 

カンタータ 第  110  番のオリジナル・スコア(第 1 曲の前奏からフーガに続くところ)

前半の反復を指示する小節が × 印でごっそり削除されています。

 

前掲の手稿譜と同じ箇所の現代譜〔新バッハ全集(NBA)〕

前奏は楽器のみで演奏され,フーガが開始されるとともに合唱が入ってきます。

 

ii) 成立時期と初期稿

管弦楽組曲第 4 番ニ長調 BWV1069 も,大バッハの自筆スコアは消失しており,現存するのは 1730 年頃に作成されたパート譜です。

この組曲も他の組曲と同様に,ヴァイマール時代(1708-1717)もしくはケーテン時代(1717-1723)に初期稿が作曲され,ライプツィヒ時代に改変されて現存するヴァージョンに至り,1730 年頃にライプツィヒのコレギウム・ムジクムで演奏されたと推測されています。

1730 年頃に作成されたパート譜は,1725 年作曲のカンタータ第 110 番より 5 年も後の作成なので,おそらく,カンタータ第 110 番が作曲された時点では,管弦楽組曲第 4 番の最終版はまだ存在しておらず,1725 年時点の原曲は初期稿であったと考えるのが素直なのかもしれません。

トランペットとティンパニのパートは,弦楽合奏に従属的で独立性を欠いており,これらのパートをすべて省略して木管楽器(3 本のオーボエとファゴット)と弦楽合奏のみでこの組曲を演奏しても,音楽としてはさほど見劣りがしません。

おそらく,トランペット I-III とティンパニのパートはライプツィヒ時代の最終稿で加えられており,初期稿は木管楽器群(オーボエ I-III とファゴット)と弦楽合奏のみであったと思われます。

木管楽器群については,弦楽合奏とは別個に作曲されている箇所も少なからずあるため,後付けではなく最初からセットされていたのではないかと思われます。

 

序曲後半のフーガが進行したところ〔新バッハ全集(NBA)〕

第 46 小節より,弦楽合奏から独立した役割が木管楽器群に与えられています。

 

第 2 曲ブーレの冒頭部分〔新バッハ全集(NBA)〕

木管楽器群には弦楽合奏とは別な役割が与えられ,弦楽合奏は木管楽器群の伴奏役に回っています。

 

ところで,3 本のオーボエにファゴットと言えば,ブランデンブルグ協奏曲第 1 番ヘ長調 BWV1046 の楽器編成(ホルン I-II,オーボエ I-III,ファゴット,ヴィオリーノ・ピッコロと弦楽合奏)を彷彿させます。

3 本のオーボエ,ファゴットと弦楽合奏というのは,やや贅沢な楽器編成ではありますが,2 本のオーボエとオーボエ・ダ・カッチャとファゴットをそれぞれヴァイオリン I-II,ヴィオラ,通奏低音に重ねるという編成は,大バッハがカンタータにおいてしばしば用いており,オーボエとオーボエ・ダ・カッチャの持ち替えもありだったことからすれば,3 本のオーボエがフィーチャーされても無理はなさそうです。

余談になりますが,18 世紀当時のオーボエ奏者は,オーボエ,オーボエ・ダモーレ,オーボエ・ダ・カッチャの他,リコーダーも持ち替えるマルチ・プレーヤーが一般的だったようです。

 

 

管弦楽組曲 第 3 番 ニ長調 BWV1068

Ouvertüre Nr. 3 D-Dur BWV1068

 

【楽器編成】

トランペット I-III

ティンパニ

オーボエ I & II

弦楽合奏(ヴァイオリン I & II,ヴィオラ,通奏低音)

 

【楽章構成】

1. 序曲 Ouverture

2. アリア Air

3. ガヴォット Gavotte I & II

4. ブーレ Bourrée

5. ジーグ Gigue (Giga)

 

 

管弦楽組曲第 3 番 BWV1068 は,ニ長調で作曲されており,2 本のオーボエの他に 3 本のトランペットとティンパニが加わった華のある編成です。

序曲に続く 4 つの楽章のうち,3 つは舞曲(ガヴォット,ブーレ,ジーグ)で,舞曲ではないアリアが 2 曲目に置かれています。

このアリアは,ウィルヘルミ(August Emil Daniel Ferdinand Wilhelmj, 1845-1908)によって編曲され,「G 線上のアリア」として大バッハの作品の中でもとりわけ有名になりましたが,いまさら書くまでもないことかもしれません。

 

i) 成立時期と初期稿

この組曲も大バッハの自筆譜は消失しており,作曲年代が同定できません。

この組曲も他の組曲と同様に,ヴァイマール時代(1708-1717)もしくはケーテン時代(1717-1723)に初期稿が作曲され,ライプツィヒ時代にアップデートされて現存するヴァージョンに至ったものと推測されます。

現存する手稿譜としては,大バッハの次男カール・フィリップ・エマヌエル(Carl Philipp Emanuel Bach)と大バッハの愛弟子のクレープス(Johann Ludwig Krebs)によって 1730 年頃に作成されたパート譜のセットがあり,それ以前にはこの組曲が成立していたことがうかがわれます。

トランペット,ティンパニ,オーボエのパートは,いずれも弦楽合奏に対して従属的で独立性を欠いており,これらのパートをすべて省略して弦楽合奏のみでこの組曲を演奏しても,華やかさに欠けるだけで,音楽としては十分に遜色なく成り立っています。

第 5 曲ジーグの前半の最後から 2 小節目のところで,トランペットの旋律に埋もれていた第 1 ヴァイオリンのフレーズが表に出ると,こんなフレーズが隠されていたのか,と最終稿に慣れた耳には驚かされますが,それ以外には何もサプライズがありません。

 

第 5 曲ジーグの前半の終わりと後半の始まりの箇所

トランペット I-III とティンパニ(上 4 段)を省いたときに,23 小節目の第 1 ヴァイオリン(5 段目,オーボエ I & II とのユニゾン)の 16 分音符を含むモティーフにはちょっぴりサプライズがあるかもしれません。

 

おそらく,管楽器群とティンパニはライプツィヒ時代の最終稿で加えられており,初期稿は弦楽合奏のみであったと思われます(弦楽合奏だけなのでこのヴァージョンは「管弦楽組曲」と言えませんが)。

初期稿が弦楽合奏のみだったであれば,第 2 曲のアリアが弦楽合奏のみで作曲されていることにも違和感を覚えません。

 

ii) ソロ・ヴァイオリンのパートのある別稿

伝承されているスコアには,2 種類の編成のものがあり,ソロ・ヴァイオリン(Violino concertato)のパートが別途独立しているヴァージョンがあります。

このヴァージョンは,合奏(Tutti)の箇所ではソロ・ヴァイオリンと第 1 ヴァイオリンのパートがユニゾンになっており,ソロ(Solo)が出てくると第 1 ヴァイオリンと第 2 ヴァイオリンのパートがユニゾンになってソロのバックを務めています。

 

序曲の冒頭

ソロ・ヴァイオリンのパートが設定されていないヴァージョン(作成者不詳の 1768 年頃の筆写譜)

 

序曲の冒頭

ソロ・ヴァイオリンのパートが設定されているヴァージョン(C. F. Penzel による 1754 年頃の筆写譜)

 

合理的な解釈としては,もともと各パート 1 名で演奏することを想定していたのであれば,ソロ・ヴァイオリンのパートは別記する必要がなく,第 1 ヴァイオリンが合奏(Tutti)もソロ(Solo)も兼ねていたと考えられます。

後に弦楽合奏のヴァイオリン・パートを複数名で担う機会を生じたのであれば,第 1 ヴァイオリンのソロを想定していた箇所については,複数名で演奏するのではなく,ソロでの演奏を楽譜上で指定しておく必要があり,そのような状況に合わせた別ヴァージョンが登場するに至ったのではないでしょうか。

ソロ・ヴァイオリンのパートが設定されているヴァージョンは,作成者不詳の 1768 年頃の筆写譜で,ソロ・ヴァイオリンのパートが設定されているヴァージョンは,ペンツェル(C. F. Penzel)による 1754 年頃の筆写譜です。

ソロ・ヴァイオリンのパートが設定されているヴァージョンの方が作成年代は先ですが,1750 年に大バッハが他界しているので,いずれも大バッハ亡き後のものです。

前述のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハとクレープスによって 1730 年頃に作成されたパート譜のセットには,ソロ・ヴァイオリンのパートはありません。

したがって,1730 年頃のスコア(消失)はソロ・ヴァイオリンのパートが設定されていない方のヴァージョンであったと推定されます。

なお,面白いことに,ソロ・ヴァイオリンのパートが設定されているヴァージョンの第 2 曲アリアでは,もともとの第 1 ヴァイオリンのパートがソロ・ヴァイオリンのみにゆだねられ,もともとの第 2 ヴァイオリンのパートを第 1 ヴァイオリンと第 2 ヴァイオリンがユニゾンで奏するように書かれています。

つまり,このヴァージョンにおいては,第 2 曲アリアの最初から最後まで,もともとの第 2 ヴァイオリンのパートを複数名で演奏することが間違いなく想定されているわけです。

 

ソロ・ヴァイオリンのパートのある手稿譜のアリアの前半部分

アリアは弦楽合奏だけの 4 段譜なので,序曲が終わった右余白に,上下に詰めて書かれている。