人間の一生は80年前後の運命です。
宇宙の一部<地球>に生を受けたのは自らの意思ではありません。
しかしながら、やむを得ずこの世に<生>を受けた以降、体力を鍛え、学力を鍛え、技能をスキルアップしていくごとに社会経験が豊かになります。

 おおよその人生は、乳幼児から青年に至る普通22歳の学卒年齢に至るまでの時代に培った能力がそれからの60年間を淘汰することになります。
人によっては、様々な関係で途中でドロップアウトする人生もありますが、能力にしても交友関係にしても自らが培った過去が相当影響しているようにも思えます。

 本ブログの主人公『正力松太郎』氏は、どのような気持ちで84歳の寿命を終えたのでしょうか?

なぜなら、今、日本国内では<放射能汚染>という妖怪が空気中を彷徨い、特に、福島県の県民はチリチリバラバラの状態で逃避行を続けています。
 このような恐ろしい<原子力>の導入を発想した御仁が、『正力松太郎』氏であり『中曽根康弘』氏であったことは日本国民の誰もが知っている事実です。

 本ブログでは、『ヘロンの蒸気』からアメリカの<マンハッタン計画>に至る過程でどれほどの物理学者が【ウラン】の活用を研究したのでしょうか?
そして、最終的に物理学者であった『オッペンハイマー』が、原爆の設計を担当したのです。
その後1945年8月6日の<広島>で、8月9日に<長崎>で、その後、南太平洋のビキニ環礁で<第五福竜丸>が死の灰を浴びて23人が被曝し、無線長の『久保山愛吉』さんが半年後、急性放射能症で亡くなりました。

 わが国は、これまで3回のアメリカによる原水爆によって多くの人民が彷徨うことになりました。
そして今回は、初めて日本の国内による東京電力による自らに原因で多くの国民に被害を被っています。
それでもなお、現在日本国中に放射能を撒き散らす源泉になっている【原子力発電所】が国内に54基も存在します。
 =歌を忘れたカナリヤ=ではありませんが、日本国民はよく言えば<悠長>であり、悪く言えば<無頓着>な国民性です。
それでもなお、そして、まだ国家の指導者と並列者は【原子力発電所】を造ろうというのですから、<無頓着>の度を越しているように思えます。

 『正力松太郎』氏と『中曽根康弘』氏が、ナゼ?、<原子力>に手を染めようとしたのか?についてはこれからも検証を進める必要があると思いますが、何といっても、【自我の拡張】があったからではないのか?と思える節があるのです。
 研究者でもなければ、製造者でもない彼等がナゼ?<原子力>手を染めなければならなかったのか?
前者にあっては<社会への怨念>であったであろうし、後者にあっては<功名心>があったのではないでしょうか?前者はこの世に存在していませんが、後者にあっては未だに健在です。

 書き込み者のオジサンは、自らの人生の末路としていかがなことかと自戒しながら、残された道を歩んでいこうか?と思っています。