50代にもなると自分の最後が気になってきます。
2つの寿命の「差」について深く考える時間なんてありませんでしたが、親の最後を見たとたん、気になり始めました。

本来の生命としての寿命である「命の寿命」と、介護などを必要とせず自分の力で通常の生活が可能な期間を指す「健康寿命」

理想的な人生のエンディングを迎えるため、この2つの寿命の間に「適切なすき間」が必要だと気付きました。

2つの寿命をできるだけコントロールできるように、今からできる準備について考えてみます。

「命の寿命」と「健康寿命」の理想的なバランス
命の寿命と健康寿命の間は、できれば半年から1年程度、空いているのが最も好ましいのではないでしょうか。

健康寿命が終わってから命の寿命を迎えるまでの期間は、人生の「最終章」です。

この期間が長すぎても、あるいは全くなくても、本人はもちろん、周囲の人に大きな負担をかけることになります。

時期(差がゼロ)の危険性
「ピンピンコロリ」のように、健康なまま突然亡くなることは、一見理想的かもしれません。
しかし、命の寿命と健康寿命がまったく同じである場合、自分が亡くなった後の準備(終活)が十分にできません。
お世話になった人への挨拶、財産の整理、葬儀、遺品、残される家族へのメッセージなど、時間がないまま旅立つことは、遺族を困惑させます。

例えば10年以上の乖離(差が長すぎる)場合の危険性
一方で、健康寿命が終わった後、命の寿命を迎えるまでが例えば10年以上という長い期間になった場合、人生の最後の時期を能動的に楽しむことが困難です。
自分の意思で動けない、意思疎通が難しい状態で長期間ベッドの上で過ごす。

このような状態では、本人が精神的な苦痛に耐えられないかもしれませんし、家族に介護負担を与えてしまい、経済的な負担にもなります。

「約半年から1年」という期間であれば
もし、健康寿命が終わった後、命の寿命までが1年程度あれば、自分が亡くなるまでになんとか「終活」ができます。
身体の自由が少し利かなくなっても、頭がしっかりしているうちに、自分の人生の棚卸しができるでしょう。

周囲へ感謝し、この世を去った後の希望を伝えることができます。

この「ほどよい期間」こそが、人生をきれいに完結させるための貴重な猶予期間ではないでしょうか。

コントロールできるのは「健康寿命」
もし、「命の寿命」と「健康寿命」をそれぞれいつ迎えるかが、あらかじめ数式のようにわかっていれば、何の問題もありません
逆算して完璧な計画を立てられるからです。

しかし、現実には、自分がいつ倒れるか、いつ命を終えるかを正確に知ることは不可能です。
重要ポイントは、「命の寿命」はコントロールできないのに対し、「健康寿命」はある程度自分の力でコントロールできるという点です。

いつ来るかわからない「命の終わり」をコントロールできません。

しかし、動けなくなる時期を先延ばしにし、命の寿命との差を「理想的な半年から1年程度」に縮めるための努力は、今からでも始めることができます。

健康寿命をできるだけ長くする努力
人生の最期に適切な準備期間だけ残し、それまでは活発に暮らすために、健康寿命をできるだけ長くする努力が必要です。
日々の生活習慣の積み重ねでしょうか。難題ですけど。

例えば、
・適度な運動、筋力の維持:歩行能力、バランス感覚を保ち、寝たきりを防ぐ
・バランスの良い食事、口腔ケア:栄養を十分に摂り、自分の歯で食べる能力を維持する
・社会や人とのつながり:孤独を避け、脳を活性化させて認知症のリスクを下げる

単に「長生きするため」だけが目的ではありません。

「自分の足で立ち、自分の意思で生きる時間」を1日でも長く引き延ばし、最後の半年から1年で静かに人生を整えるための、いわば「最高の終活」です。

いつか来るその時のために、まずは今日から。