今、考える

インフルエンザ・新型インフルエンザ・新型コロナ、、、、

 

ウィルスとの戦いから共存へ。これは生物として今後も繰り返し起きてくる。

 

現役養護教諭として、学校における歴史を簡単な忘備録として、記録しておく。

 

何から書くか、、、。

 

インフルエンザ集団予防接種開始の歴史的背景

私が子どもの頃、学校でインフルエンザ予防接種を打っていた。この背景はなんと太平洋戦争まで遡る。

 

太平洋戦争後、駐留米軍の勧めで製造されるようになったインフルエンザワクチン。当初、鉄道員や郵便局員などの公共性の高い大人に接種されたが、流行は無くならないため、個人に打っても効かないから小中学生に集団で、、、という方針になった。「学童防波堤論」である。世界的にも珍しい強制接種であった。

1976年に3歳から15歳への集団接種義務化。学校が接種会場になっていたことは中学生だった時の自分の記憶にも残っている。

1979年前橋市で小学生が接種後ひきつけを起こす事例が発生。その後も各地で副作用が増えたが、国は認めなかった。

 

前橋レポート

5市(前橋、安中、高崎、桐生、伊勢崎)の小中学校75000人を対象に1980年〜1986年の6年間にわたって疫学調査を行い、ワクチン接種、未接種で罹患率は変わらず、感染予防効果はないことが証明された。医師会、疫学者、学校(特に養護教諭)の仕事をしながらの調査は想像を絶する大変さだったと思う。

1987年1月の報告書だが、ネットでは2004年8月31日付カンガエルーネットさんに110ページに渡る前橋レポートが再掲されている。

私もまだ読み切れていない。

 

この前橋レポートをきっかけに集団接種を中止する動きが全国に広がる。

 

1992年〜1994年にかけては副作用で被害を受けた人たちの20年以上に渡る訴訟に次々と勝訴判決が下る。

 

1994年小中学生への集団接種中止

接種義務化から20年近くかかって勝ち取ったもの!!

 

しかし、2000年ごろから任意ではあるが、再び接種者が急増している。1994年から1998年の間の接種者がほぼ0に近かったのに。なぜか?この打たない4年間もインフル流行の様子は他の年と大きな違いが無かったにも関わらず、、、。

私たちはよく調べ、考えるべきだろう。

 

 

 

そして記憶に新しい2009年の新型インフルエンザ流行

 

関西地域での流行に留まったので、現役養護教諭だった私は特に現場で意識して仕事をした記憶はない。ただ、この時、日教組の地域役員としていろんな情報はもらっていた。今、それを読み返してこのブログを書いている。

 

実はこの時もどさくさに紛れて学校での集団接種となった地域はあったようだ。

 

2009年3月21日の産経新聞によると、最初は国産のワクチンを2300万人が接種。その後補充された輸入ワクチンも大量に余り、1億3千万人分が余り、ワクチン輸入に使われた税金は1126億円。

 

2009年12月14日の医療介護CBニュースによると、接種後死亡70例について検討し、注意喚起が強化された。

 

読み返すと今のコロナと全く状況が似ていることに驚く。いや、世界的パンデミックになってしまったので、何倍もひどいことになっている。私はもう一度歴史に学び、ささやかでも良い、コロナワクチンの子どもたちへの害を少しでも減らす防波堤にと決意せずにいられない。

 

日教組についてはどうこういうつもりは無い。

でも、学校現場への医療の介入については養護教員部としての「安全性」「有効性」「必要性」の観点をいつも声にしてきた歴史的事実は大事だと思う。今こそ全国の養護教諭は考えるべきではないだろうか。


そして、古臭いと廃れてきている「教え子を再び戦場へ送るな」という、50年以上前から続く、日教組のスローガンを、残念ながら、今、再掲せねばならない時が来てしまった。今は戦争状態だと思わずにはいられない。

 

 

参考文献

日教組養護教員部編

学習シリーズ19

「うつる」病気をどう考えるのか〜新型インフルエンザを通して〜

日教組養護教員部保健研究委員会 調査報告書

「うつる」病気と養護教員のかかわりについて〜新型インフルエンザの対応をめぐって