生まれ落ちたのは客商売の親の元
生まれた時、両親は客商売を始めた頃だった。
脱サラをして小さな個人商店。
当時【あなたの街の電気屋さん】
と言う名は無かったけれど、街の電気屋さん
今な名も無き
【ナショナルショップ】
そもそも・・・
【National(ナショナル)】
と言うブランド名が無くなっている。
死語か・・・
今の若い子【National】は知らないだろうが、
松下幸之助くらいは
知ってるのかな?
教科書に載ってた?
経営の神様なんて、呼ばれてた人。
他にも経営の神様はいっぱいいるけれど・・・
話が逸れたけど・・・
大人になってからだったか、母から・・・
[ あんたを妊娠したころは、商売を始めたばかりで本当に厳しかったから、あんたを堕ろそうか考えた]
と聞かされた。
小生のその時の返答は・・・
なら、ラッキーじゃん‼
頭の弱そうな返事をしてたと思う
さほど、商売も大きくならず、今も大きくならず、借金だけが増えたり減ったりの会社。
親子ともども・・・
商才は弱いらしい
中高生の頃、我が母校は通学路沿い。
中学生になる頃にはレコードレンタルをしていた。
こちらもずいぶん前に無くなった
【黎紅堂】
こちらも死語か・・・
電気屋兼レコードレンタル
昭和56年頃だったろうが・・・
当時としては画期的なビジネスモデルだったと思う。
あの【TSUTAYA】と同じ時期だったのだから・・・
安城市の片田舎で、当時としては最先端のビジネス。
中高生、男女を問わず、お客さんが押し寄せた。
それに伴い・・・
万引き犯も押し寄せた?
特にカセットテープは飛ぶように盗まれたらしく・・・
更にツワモノになると・・・電気屋の展示品のラジカセを握ってダッシュで逃げて行くヤツも居た。
同じ学校に通う生徒もおり・・・
親に連れられて謝りに来ている場面に出くわしたことも何度かある。
そんな折に触れ【1個盗まれると、同じ物を5個売らないと元が取れないの!」と何度か聞かされたことを覚えている。
部活と遊ぶこと以外、興味の無かったバカ少年は
【ふ~~ん】
くらいにしか聞いてなかったが・・・
また、店内でお客様が怒鳴り散らして怒っている場面は何度もあり、アルバイトのお姉さんが泣きながら謝っている姿は今も絵的に覚えている。
【そんなに悪いことをしたのか?】
と、思っていたが・・・
(後に、自分が商売をするようになって気付く)
そんな学生時代を過ごした今の52歳の小生がいる訳で、
更なる今昔物語が・・・
つづく・・・
See you later