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2013年7月12日のあの出来事から1年。
自分の思い。家族の思い。これまでの真実。
すべて振り返ります。

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僕の言いたいことはこれがすべてです。

文書読みにくいという方。
すみません。許してください。

みなさんに何か感じるものがあれば
僕はそれで満足です。


恒太の存在。

時間が経てばいつか忘れる。
これは仕方ないこと。誰の責任でもない。

恒太の好きなところ。
嫌いなところ。
恒太と居てて楽しかったところ。
嫌なところ。思い出など。


たまに思い出してあげてください。


何か不意に恒太のこと思う人がいれば
恒太はまだ自分の心に居続けるはず。


僕の弟が恒太で本当によかった。
安らかにお眠りください。


中井  友雅。
恒太が死んで3ヶ月。

僕の心は不安定だった。

学校・バイトに復帰して
いつもと同じようにふるまっていても、

" 元気だしてよ "
" なんか前と変わったなぁ "

って言われる時期が続いた。

" 遊んでいても楽しそうでない "

その事で、友達や当時の彼女と
もめることもたびたびあった。

楽しいけれど
楽しく見えないらしい。

どーしていいかわからなかった。


このことでいままでいちばん悩んだ。


いちばん仲のいい友達に
いろいろ相談にのってもらった。

その子は " 弟が亡くなる "
という経験はないけれど

真面目に聞いてくれた。

考えが間違っていたら指摘してくれた。

そういう友達がいなかったら
僕は今頃どうしていただろう。

その友達の存在はすごく大きい。
本当に。助かった。ありがとう。


僕はいまこうして頑張れているのは
支えてくれた友達。先輩。後輩がいるから。

だから僕はその子達に
少しずつ恩返しをしているつもり。


友達は大人数おったほうが
それはそれでいい。

だけど。本音言い合える仲の友達って
ほんの数人しかいないと思う。

その友達をいちばん大切にするべき。

友達はただの遊び相手だけでない。

困った時はお互いに
" 助けて助けられる "

今回の経験で本当に大切と
気づかされた。


恒太が亡くなって
皆がよく言っていたのは

" 恒太の分までしっかり生きる "

正味言うと恒太の分までは生きられない。
恒太の人生は恒太のもの。

" 恒太の分 " ではなくて

" 自分の人生 " をしっかり
生きなければならない。

だから今。
いちばんなにをしなければならないか。

僕の夢は建築家になること。
自分の夢に向かって必死に頑張っています。


あなた達はどうですか?。

必死に生きていますか?。

後悔するような生き方していませんか?。
 

遊ぶときは遊ぶ。
勉強・仕事するときはしっかりする。

当たり前なことだけど。
できていないのが現実。


" 自分の人生を必死に生きる "


恒太がいちばん喜ぶことではないんかな。
僕はそう思います。


もう悲しい事故を繰り返さない為に。
なにをしなければならないか。

僕は車の免許を取り
毎日のように車に乗っています。

スピード。
やっぱり出てしまいます。

事故現場付近の国道では、もう二度と
このような事故を起こさないために
どうにかしようとしている人たちがいます。

警察や国にこのことを持ち掛けても
何もできないのが現実。


一度。自分達にできること。
何か考えてみてください。
お通夜が始まる前に用事でロビーに降りると
友達数人が下で待っていた。

" 大丈夫かー? "
って心配してくれた。

顔が引きつりながらも
笑顔で " 大丈夫やでー! " って言った。

だけど。大丈夫ではない。

何を言ったらいいかわからなかった。
心配かけたくなかった。


お通夜が始まって
恒太の友達。先輩。後輩。など。

およそ600人ぐらいのたくさんの人が。

恒太のために参列してくれた。

やっぱり恒太は友達が多かった。


お通夜が終わり、
その日の夜は葬場で泊まることになった。

恒太の彼女も泊まった。

お通夜に来れなかった人たちが後から
来てくれたりして寝るのが3:00を回っていた。


次の日で恒太とお別れ。


寝るのがすごく嫌だった。

だけど、その日は疲れていたので
すぐ寝に入ったけど、

恒太の彼女は寝てないと思う。

棺桶の中にいる恒太をずーっと覗いていた。


次の日。告別式の準備が進められた。

ぼくは早く準備を終わらせ
先に式場に入って恒太の遺影を見ていた。

告別式が始まって
恒太のまわりに花を供えられた。

ぼくの友達が折り紙で折ってくれた鶴。
恒太のキャップ、Tシャツも供えられた。

出棺のとき。

広いロビーがいっぱいになるほどたくさんの
人々たちに見守られながら恒太を車に運んだ。

そして斎場へ。

恒太は骨だけになった。

葬場に戻って初七日が行われ
恒太を家に連れて帰ってきた。


恒太が死んで告別式まで。

すべて終わった。


実は僕と恒太はあまり仲よくなかった。

家に居てても話もせず
兄弟なのに兄弟ではなかった。

恒太をバイトに誘って仕事の事で
ちょっとは話するようになっていた。

このまま仲良くなればいいな。
思っていたら死んでしまった。

恒太が死んでから
いろいろな事を気づかされた。

でも。今頃知っても遅い。

恒太は僕のこと兄と思ってくれてたかな?。
兄としてのこと何もしてあげられなかった。

後悔ばっかり。

こういうことばっかり思うようになった。
その日の晩は恒太の隣で寝た。

恒太と一緒に寝るんいつぶりやろ。

小学生以来?。

その日はまったく寝れてなかったので
すぐに寝に入った。

恒太が死んで僕が寝るまでの1日。
時間が経つのがすごく遅かった。

時間が止まったような気分になった。


次の日。

お父さんの泣き声で目が覚めた。

起きたら隣に恒太。

あ。死んだんやった。

普通に寝てるだけのように
見えて仕方がなかった。


朝。寝台タクシーが来て
恒太を葬場へ連れて行く。

恒太が生まれてからいままでずっと育ってきた
この狭い家ともこれで最後。

あとから自分たちも斎場へ向かった。

近所にある斎場。
いつもお通夜とかそこへ参りに行くのが多かった。

今回は自分らが主役みたいなもの。

変な気持ちだった。


恒太を最後の風呂に入れて
着物を着せて化粧をしてもらった。

事故の後の傷もしっかり隠して
やや厚化粧だけど綺麗になった。

恒太の身長は当時180cm以上あった。
中井家でいちばん背が高い。

いちばん大きい棺桶も少しはみ出すぐらい
大きく成長していた。

ここまでの流れをぼーっと見ていると
保育園。小学生。中学生と。
思い出が全てよみがえってくる。

楽しい思い出。
ケンカした思い出。

恒太は中学生から人一倍反抗期だった。

お父さんお母さんとずっとケンカして。

死ぬ前にお父さんと掴み合いで
最終玄関に落ちて恒太の腕を骨折するという。

いまとなったら笑えるアホみたいなこと。

もう。こういうケンカも見れなくなるんや。


恒太を棺桶に入れて部屋に戻ってきた。

夜のお通夜に向けて準備が進む。
と、同時に別れの時も迫ってくる。
恒太の体を綺麗にして着替えさせるのと
警察が調べに入るため一度待合室へ。

そこへ病院の先生が持ってきたのは
寝台タクシーと葬場の予約の案内。

金曜日恒太を1日家に寝かすことにした。

土曜日がお通夜。
日曜日が告別式。

土日なら恒太の友達も来れるやろうし。
ちょうど良かったと思う。


ケイタイを見るとみんなから
の連絡でいっぱいだった。

みんなに返事を返しづらかった。


帰る準備ができて恒太を連れてみんなで地下へ。

僕とお母さんは恒太と寝台タクシーに乗った。

午前5時ごろ。

空は明るくなっていて晴れていた。
道に車は1台も走っていなかった。

家について狭い玄関をみんなで
恒太を運んで寝かせた。

朝からドタバタしてたせいで
近所のおばちゃん達が外にでてきた。

恒太の死を知って
おばちゃんは泣き叫びながら恒太のはたへ。

僕はそれを見て始めて泣いた。


家に帰ってきてまだ友達に
恒太の死を報告してなかった。

ツイッターにつぶやいて最後にできるだけ
多くの人が恒太に会って欲しかった。

お通夜と告別式の時間と場所もつぶやいた。

そしていちばん仲のいい友達に
電話で報告した。

会話にならなかったけど。
一緒に泣いてくれた。


お昼すぎにたくさんの人が
恒太に会いに家にかけつけてくれた。

親戚。近所の人たち。塾の先生。
学校の先生。ぼくの友達。恒太の友達。

恒太は友達が多かった。
自転車が置けなくなるほどすごい人だった。

僕はめっちゃ嬉しかった。


恒太は当時付き合っている彼女がいて

彼女の家でご飯を食べさせてもらって
家から帰る途中の事故だった。

夕方。恒太に会いに来た。

恒太の前で辛い顔見せないように
めっちゃ我慢してたと思う。

ほんまに辛かったと思う。


その日は夜の遅くまで
みんなが恒太に会いに来た。

恒太はみんなの人気者やったんかな。
恒太は幸せ者やな。

思うようになった。