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2013年7月12日のあの出来事から1年。
自分の思い。家族の思い。これまでの真実。
すべて振り返ります。

目の前にはぐったりとした恒太。
顔はひどく腫れあがれ若干白目を向いている。
口からは血が流れてていて見ていられなかった。


" 恒太! "
呼んでも反応しない。


恒太は国道のある交差点の離れた
カレー屋さんの前でトラックにはねられた。

国道は南北に通っていて、その国道から
北側に進んで行くと大阪と和歌山の県境がある。

県境から交差点までは緩やかな下り坂。
制限速度は50km。

恒太はその交差点を通って家に帰るつもりだった。

当時。交差点をトラックと乗用車が平行に
走っていて恒太は横断歩道から南へ30mの
ところを横断しようとしていた。

それに気づいた乗用車は停止。
トラックはそれに気づかなかった。

横断歩道の信号は赤。  

恒太は信号が赤だったから
横断歩道のない所を渡ろうとした。

トラックと乗用車は共に60kmを出していた。

恒太はトラックにはねられ後頭部をフロントガラス
にぶつけそのまま倒れトラックの下を通過した。

奇跡的にトラックに踏まれず済んだが
後頭部の骨はぐちゃぐちゃ。

救急隊が到着後処置して心臓が少し動いた状態。
血圧を上げる薬で何とか生きている感じだった。


病院の先生。

そう長く持たない。

そう言われた。


" 死ぬわけないやん。"

" まさか恒太が?。しかも自分の弟が?。

なんで恒太が死ななあかんの?。"
" 絶対良くなるって。"

頭の中がよくわからんようになった。


恒太がICUに移動することになり
エレベーターに乗って移動した。

ICUの中は機械だらけ。
ピッ。ピッ。ピッ。
音が鳴り響く。

恒太は奥の奥にある個室に入った。

ベッドの周りを皆で囲んで
恒太を見守り続けた。

心臓が少しずつ弱っていくのがわかる。

体も冷たくなってきて。

それをおじいちゃんが必死に温めようとする。

僕の妹の利音 (りおん) は
" 恒太くん。死なんといてー。"
" 死なんといてー。" 泣き叫ぶ。

機械が心臓の音を拾ったり拾えなかったり。

数字が 0 になったり。20 になったり。

それの繰り返しだった。

母が " もう。楽にさせてあげよう。"
" 家に連れて帰ろうか。" そう言った。


2013年7月12日。午前1時39分。


事故して一度心臓止まったけど。
心臓動いて。必死に必死に生きようとして4時間。

家族に見守られながら。

亡くなった。

当時15歳。

あと14日で16歳の誕生日やったのに。
原付免許取れたのに。

おばあちゃんおじいちゃん。
お母さんお父さんよりも早くに死んでいった。


家族みんなは泣く。

だけど僕は泣けなかった。
現実を受け止められなかった。
学校終わった後、その日は久々にバイトは休みで
友達数人と遊ぶことになった。

家の近くの河川敷で花火することになって
近くの大型ショッピングセンターで花火の買い出し。

自転車で河川敷に向かった。

今年初の花火でもあったので
みんなはしゃぎまくって花火をしていた。

当時原付免許を持っていなかった僕は夏休みに
免許を取る為、先週講習に行ったばかりだった。

河川敷の中で友達の原付を乗らせてもらって
自分で原付の練習をしていた。

原付乗っている時
電話がかかってきた。

僕はすぐに電話に出れなかったから
後でかけ直そうと思ってそのまま放置していた。

ケイタイが鳴り止まなかった。

原付を止めてケイタイを見ると母だった。

何事か?。と思って電話に出ると
母が泣いていた。

母 : 友雅(ゆうが)帰って来て。
僕 : え。どーしたん?。
母 : 恒太が事故した。

ぼくはその時軽い事故かと思った。
大きい事故でも骨折ぐらいで
何ヶ月か入院したら治るやろ。

僕はそう思ってた。

僕 : ほんで恒太は大丈夫なん?。
母 : おばあちゃんが先に病院ついて救急隊
に聞いたら心肺停止って言うてる。

頭の中は真っ白。

家におじいちゃんが迎えに来てくれるらしく
その場をほって死に物狂いで家に帰った。


家に着いて迎えに来るまで
じっとしてられなかった。

心肺停止のひとことで
僕の頭の中はパンクしそう。

だけど、今の医学なら何とかなるやろ。
そう思うようになって変な余裕が生まれた。

花火を一緒にしていた
あるひとりの子だけに電話で状況を説明した。

僕には当時彼女がいたが
その彼女に恒太が交通事故にあったことを伝えた。

" 心肺停止でただ事ではない。"
どうしてもこれだけは言えなかった。

だけど、本人は気づいていたかもしれない。
ただ事ではない事を。


おじいちゃんが迎えに来て車に乗った。

おじいちゃんもいつもの優しい顔ではない。

病院の待合室で家族みんな揃って待っていた。
妹とお母さんとおばあちゃんが泣いている。

心臓が動き始めたと聞いて
少しほっとした。

僕はみんなと離れた所で座っていたが
病院内をウロウロして
少しトイレの個室で座っていた。

僕も恒太も同じバイト先で仕事をしていて
恒太はバイトを初めて3ヶ月目ぐらいだった。

バイトのLINEのグループに
恒太が事故にあった事を伝えた。

" たぶん少しの間入院すると思うから
みんな顔見に来てあげてな。"

こんな感じの事を言うた覚えがある。

トイレから出て待合室に行くと
みんながいなかった。

看護師さんに集中治療室まで案内された。

最悪な光景が目の前にあった。


2013年7月11日。
いつもと変わらない高校生活。

工業高校に通っていた僕。
その日は実習の授業があった。

だがその日の実習は先生が不在。
自習ということで課題が出された。

7月で気温もだんだん暑くなり教室は蒸し暑く
中学校一緒やった友達とエアコンの効いている
生徒ホールで課題をした。

実習は週1回その日に3時間あり、課題を終わらせて
ゆっくりしたかった為、休憩も通して課題をやっていた。

休憩時間生徒ホールに他のクラスの子が
食べ物飲み物を求めやってくる。

僕は当時高校3年生。
弟も僕と同じ高校で当時高校1年生。
弟の名前は恒太(こうた)。

恒太とそのクラスの友達と生徒ホールに来ていた。

元気な顔して友達と
ワチャワチャ騒いでいた。

恒太とはよほど仲良い訳でもなく
声をかけることもしなかった。

元気な顔を見るのがこれが最後とは
思いもしなかった。

2013年7月12日。
弟が交通事故で亡くなりました。


あの時からもう少しで1年。 


当時からいままでの
できごと。想い。
この1年を機に語ります。


詳しく言えてなかった部分もあるし
誤解してる噂も流れていたらしいので...。


僕の経験をできるだけ多くの人に知ってもらい
今後どこかで生かして頂けたら幸いです。


最後まで自分のペースで
ゆっくり読んで頂けたらと思います。

よろしくお願いします。