冬の青空を見たり、「ハッピーターン」を食べると思い出す鳥がいます。
私が小学校4年の頃、巣から落ちた雀のヒナをプラモデルの箱に入れて育てていました。
餌は米を小さく切って爪楊枝に刺してあげてました。
私が近づくと、クチバシを大きく開けて餌を求めて来るようになりました。
とても、可愛かったのを覚えています。
名前は、覚えていません。おそらくチュンとかピヨとかそんな名前だったと思います。
ある日、遊びから帰って来るとお袋が、悲しそうな顔しています。
なんだか嫌な予感がしました。
私は、急いで自分の部屋に行きチュンだかピヨが入っている箱を覗きました。
チュンだかピヨはいません。
私は、お袋に聴きました。
お袋が手術室から出て来た医者のように横に首を振り、私に言いました。
「窓を開けておいたら、猫が入って来てチュンだかピヨだかをくわえて出て行ったんだよ」
私は、絶叫しました。
チュンだかピヨだかをくわえてこちらを見ている猫の野郎の映像が私の脳裏に浮かびます。
私は怒りに震え、家の外に飛び出しました。
そしてランボーのように落ちている棒っきれをナイフで削り槍をこしらえました。
槍を持ち、そこら辺にいる野良猫を追いかけ回しました。
小学4年生の私に、素早い猫を捕らえる事などできるはずもありません。
私が投げた矢をひょいひょいよけて壁に登り「お前、バーカ!」と言っているように猫達は、
こっち見ています。
涙と鼻水だらけになりながら「ウグググググググッ!」という呪詛を口にしていると、
お袋が来て「いい加減にしなさい!」となぜか怒られました。
私は、そのまま布団の中に入り丸まってずっとずっと泣きました。
チュンだかピヨだかを思って、ずっと泣きました。
気づくと翌朝になっていました。
玄関のチャイムが鳴ると、そこに隣の家のおばさんが立っています。
どうやら、チュンだかピヨをくわえて出て行ったのは隣のおばさんの猫だったようです。
そして、おばさんは小さな箱を持っていました。
箱の中にはダルマインコのヒナが入っていました。
チュンだかピヨだかの、お詫びに持って来たのでした。
ともて可愛いです。私はチュンだかピヨだかをいとも簡単に忘れダルマインコの虜になりました。
名前を「ピータン」と名付けました。大人になってから「ピータン」という卵の食べ物がある事を
知ったとき、複雑な気持ちになりました。
私とピータンは毎日遊びました。
ダルマインコは話すんです。私が「ピータン」と話しかけると「ピータン!ピータン!」と鳴きます。
でも、ピータンは大きくなるにつれて、凶暴になっていきました。
よく指を噛みます。噛むと血がでるんです。
そのうち、ピータンが嫌いになりました。
ピータンは賢くて、自分のクチバシで鳥かごを開けて外に出て来ます。
捕まえて鳥かごに入れようとすると、凄く噛みます。
痛いんです。血が出るんです。頭が良く、凶暴な奴です。
もうピータンと遊ぶのはやめました。ただ餌をあげたり水をあげたりするだけの関係になりました。
私が高校一年になった年の冬のある日、ピータンは脱走しました。鳥かごの出入り口を洗濯バサミで止めていたにも関わらずその洗濯バサミを外して脱走したのでした。
冬なので、インコが生きて行けるわけないと思いました。
そう思うと、あんなに嫌いだったピータンが可哀想になり少し複雑な気持ちになりました。
もっと遊んであげればよかった。
もしも、もしもピータンが帰って来たらちゃんと可愛がってあげようと思いました。
でも、もう会う事は出来ないんだろうなぁ。
私は、冬の雲一つない空をいつまでも眺めていました。
ある日の事、学校に行くのに駅に向かう私。
真冬の朝は寒いです。
足早に歩き毎日、通り過ぎる床屋さんの前にさしかかったとき、
赤白青がぐるぐる回る看板の横に鳥かごがぶら下がっています。
「あれ?ここにこんな鳥かごあったかな?」
と思いました。かごの中には、鳥がいるようです。
近くに行くとその鳥は・・・
「ピータン!ピータン!」と鳴きました。
床屋さんのおじさんが、餌をあげに出て来ました。
おじさんの指に絆創膏がたくさん巻かれているのを確認すると、
私は、何も言わず、ただ黙って通り過ぎました。
学校が終わり家に帰ると、お袋が「ピータンがいたよ!ピータンが!床屋さんに捕まってたよ!」
と私に興奮気味に話しかけて来ました。捕まってたって言うのもどうかと思いますが。
兄貴も、「ピータン生きてたんだ」とちょっと喜んでいます。
親父も黙ってましたがニヤニヤしてました。
でも、誰も引き取りに行かないよね。
私は高校三年間、ピータンの前を通り過ぎて学校に通いました。
私、そして家族は意外にドライなんだということが
勉強になった出来事でした。