レジ袋有料化にブツブツ言ってる最後の日本人
品田です。
近況ですがサミット開催中に
広島ではなく以前にサミット開催された洞爺湖で1人サミットしてきました。
『イチイチ認めさせようとすな』
ってことが多過ぎて269年ぶりにブログを更新しています。
本題に入りますが
多様化
ってのはあくまでファッションなんやなって話。
多様化と言いつつその対象となるのは
見た目や形、趣味趣向と行動様式のことで
思考や思想、価値観なんかの
目で見えない部分のみは対象になってない
例えばですが
性的マイノリティを認めてほしい人がいれば
性的マイノリティを認められない人のことも
容認しないと本当の意味で多様化を認めることになってない。
こんなん言い出したら終わりやけど
多様化を認めない人のことも認めないと本当の意味で多様化ではないと思う。
自分は屁理屈マイノリティであります(o'д`o)ゝ
何かしらのマイノリティを社会に認めさせようとしている人達が、自分達が思うように認めてもらえなかったとき「◯◯差別やー」とか「◯◯蔑視やー」って声高に叫んでるけど、目に見えない考え方や思想や価値観に対して自分が同じことをしているという感覚が抜けてる。
あんたがどんな生き方しても文句一つない
だからイチイチ認めさせようとすんの辞めようや
少数派は苦しいと言うけれど
少数派をイチイチ多数派が全部認めてると
今度は多数派が苦しくなるオセロゲームをやってることに気がついてるやろうか?
結果
全員が生きづらい世の中になってしまう
or
誰もが誰もに努めて干渉しないという
レーズンの入ってないリクローおじさんみたいな世の中になってまう。
イチイチ白黒決着つけずに
矛盾は矛盾のまま抱えて進んでいく
ブルドーザーのような生き方していこうよ。
こんなメッセージを残そうと思ったのは
マイノリティは一つ一つ見れば小さい集団ですが
マイノリティ
という一括りになってデッカい多数派になりつつあるからです。
そうなると普通にというか真面目というか真っ当というか実直に生きている人がキワモノ扱いになるのは絶対におかしい。
「絶対」
という言葉を取り扱うとかなり誤解を生みやすいですが、自分は絶対という言葉を使って良いときの判断基準があります。
100年思考
と自分が名づけたものですが
「100年前も100年後でも普遍である」
と思えること、これには絶対だと言い切って良いと自分は考えています。
実直に生きてる人の
実直に考えるようなことが
差別を受けるのは絶対におかしい
実直に生きてない自分が言うことでは
絶対にないけど。笑

