着て出る土筆かな

<わかされに はかまきてでる つくしかな>

 

ホウシだれの子 オスギの子

オスギだれの子 ホウシの子

ホウシ(法師)=土筆 オスギ=スギナ(杉菜)……ともに同根

 

知るやしらずや

「訳ありの出生の子」を囃す

子供らの戯れ唄

 おとな社会の 残酷な縮図か

はてまた

気まぐれな 春風の運ぶ こぼれ胞子か

この唄の由来に…

ある南方の孤島の村 洪水にて集落すべて壊滅の憂き目に

奇跡の生存者に 一組の「父親と娘」のみ

ふたりは共に暮らし 遂に 子孫を繋ぎ得たとある

<ひと生きるに 怪しげな系図無用 ということか>

里謡の根っこは

まっこと

切なくも おとろし

 

 

のち

「サンカ」とは かつて「箕作り」や「河漁」を 生業とした集団

 「瀬降り」と呼ばれる天幕に棲み 農耕村落共同体にも属さず

香具師 旅芸人 渡職人 マタギなどと似て一所不定

戸籍も定かならず

独自の掟と指導者を持ち 集団で流れる「漂泊の民」

その生態を題材にした小説が 三角寛著の「サンカ奇談」

その一節に

花子は18 美しい風情の者だが 両の目が潰れている

二歳ほどの赤子を負ぶって 屈託がない

お前の子か と尋ねると

「のちの杖」になるじゃろ とて

親方さんが くれたの

東天紅/鶏が先か卵が先か 誰も知らない

 

少年時代に会った

あのおじさんも 多分「サンカ」の 流れだつたろ

郷里の谷間の坂道を 大きな荷台の古自転車に乗つて

鋭利な山刀を腰に 秋風の如くやってくる

目当ては ふたつ

「箕」の材料に最適な「錦竹」と その角に編み込む「山桜」の皮

「錦竹」は 金色に緑の筋が特徴で 山林の「境界標」に植える

年毎に外へと繁茂するを 中心の基点部を残し 刈り取る

山主にも「利」 であるから 黙認した

「山桜」は 外皮極薄ミリ単位の 見事な刀捌きで剥く

桜木は 翌年傷跡も見せず 花を見せる

 

おじさんは 「カッノタイ」 と呼ばれ

集落の暮らしには 挨拶のみで 一切立ち入らない

「最低限必要なもの」しか 戴きませぬという

あれは 「仁義」でも あったか

 

それでも あたしが

ガッコから ひとり帰る道で 出会うと

自転車を止めて 嬉しそうに 聲をかけた

周囲におとなが 居るときは

まるで別人 黙の黙阿弥

おとなの世界って 厄介なんだな

 

方言を翻訳するのも 厄介だ

「カッノタイ」とは 「柿ノ谷」と 思い込んでいたが

本来は 「鍛冶ノ谷」 の意で

発音は 全く同じ

おじさんは

「鍛冶」と「炭焼き」「箕作り」で 生きた隣村の谷奥の住人衆

かつて 鬼と呼ばれ

大和朝廷に 収奪滅ぼされたという 帰化人製鉄術集団

「酒吞童子」のシッポを 切れ切れに引きずり 南の果てに流れた

鬼の眷属の末裔 だったかも知れぬと

思う

 

 

さて

気になるは

盲目の花子が育てた 子どもは 果たして

「のちの杖」に

成り得たか

否か

委細は

闇の中の

謎の石

 

「サンカ奇談」の著者三角寛氏は 虚構性が強く信憑性薄しという 学者連の評があるが

山家暮らしを見て育った者には その虚実振幅の中に 社会から外れ暮らした

賤民の生態の核が見える 「のちの杖」などという言葉は

決して虚構からは 生まれない