行きずりに鬼と腕組む歳の市

 

歳の瀬の 京の辻々

三本脚の破れお膳 歯欠けお六櫛 柄折れの木槌

口無しの土瓶 鍋穴に割れ蓋 破れ琵琶 底抜けの籠 破れ傘

役に立たずば 捨てよ

とばかり

日暮れて 月出でたれば 凄まじき 姥捨て山

古い物には 魂魄 宿るとか

これを ひと呼んで 「付喪神」の妖怪

その付喪神 語り連れおうて 京の大路小路を 闊歩する

月下百鬼夜行

そのさま

面妖でもあり あはれでもあり 可笑しくもあり

また

どことのう

懐かしくもあり

 

 

 

その名残り

今に残すのが 京・東寺の市

またの名を「弘法市」 弘法大師の月命日21日に

年12回行われるが 暮れの21日は「終い弘法」として

特別の歳の市 賑わいを見せる

 

<鬼の腕>

 

話のウラを取る術は持たぬが その「起源の意」とは

無用の物の集団

百鬼夜行の

では なかろか

と思う

骨董市には 一部の例外を除けば 

その出自血統履歴 判然としない 怪し気な物が 殆どだ

雑然と転び居並ぶ 「物々」の陰から

ねぇ

そこの

あなたさま

目くばせ 手招きをする 得体の知れぬ「物」がいて

そういう聲を聴くと 遠い過去か あるいは

未だ知らぬ 旅路に誘われて

ふらふらと

 辿るが 如し

時代も作者も 知らぬが 怪しくも どこか懐かし

「ひと」と「物」との営みの 交差する不可思議

 

 

ゆかしきものは

詠み人知らず

 

十年ほど前に彫った 連作「兔奏楽十二房」

大層な命名の 木偶連作12点

いつも「銘」なぞ 打たない

展覧会やお祝い事などで 縁着いて手許には皆無

その行く先も 「放置無記録」が性分で 定かではない

もしも

百年の後

東寺の「終い弘法」の 小店の片隅にでも

片耳欠けて 色褪せたる一点 転がり居たれば

面白い

それを巡って 通りすがりの小僧が 千円銀貨握りめて

店主殿との 裏か表かの 駆け引きと 相なれば

あたしは

五重塔の庇にて 一羽の雀となって 見物せむ

面白れぇだろなぁ

唯の木偶彫りに 委細は無用 なれど 万に一つ

褸襤市舞台の寸劇 観ること叶うならば 木偶師冥利に尽きると

思いまするが…

まぁ

夢のまた夢だろか

 

 

戯言申すうちに やがて除夜の鐘

関西では一つ 関東では三つの 「捨て鐘」

これは 梵鐘殿への 「仁義」

あとは

身についたる 百八の煩悩を 捨て参らする

もう一説に

不忘百八 先人の智慧と歴史を 胸に刻むべし

いづれを採るも

面々の計らい

なり

ゴォォーン