…白きに見惚れ不覚にも

転びますなや雲の階

<いねのはな しろきにみほれ ふかくにも まろびますなや くものきざはし>

 

万葉集は巻の二 詠み人知らず 「稲夫」の一首

「さもありなん」って感じ ですがねぇ

これ真っ赤な「嘘」 田舎講釈師の戯歌にて

 

 

山姥に緋襷やらむ田植歌

<幾つになっても 女性は「早乙女」なのだ>

中心から外へ 輪に植えて 秋には外から 中心へと刈り納める

「車田」の神事 その意味するところは

永遠輪廻

 

 

稲夫

翔平もマツコも知らぬ稲の花

あとしばし経てば 田一面の葉隠れに 秘かに開く稲の花

いよよ「稲夫(イナヅマ)殿」の出番

<今は「稲妻」と書くが 元々は「稲夫」 稲さんの愛人である>

あんなフケみたいな 稲の花を よ 天上から見染めるたぁ

あんたも好きねぇ

稲の花の季節 漆黒の闇を 斬り裂く稲夫

その放つ青白い光波が 激しければ はげしいほど

稲は良く「孕む」と言い 秋の「豊穣の瑞祥」と

喜ばれる

 

 

この光景を

「天の男神」と「地の女神」の交歓

壮大な

 宇宙房事

と見立てたは

野のミル・マスカラスならぬ

「百姓の智慧」である

なぜか この時期の「稲夫殿」は 「稲光のみ」にて

終始無言である

 

光は音に先駆けて速いから ということもあるが

父ちゃんはいつの間にか 黙って出かけておる

羞恥心ってやつかな

太鼓打ちのおいらには 「見せられぬ」と

言うのかぇ

 

小僧の太鼓は 木・火・土・金・水の 宇宙の五元素

それに日・月 加えて七つ

これを打つときは 唯々「捨心あるのみ」と…

これは「寺子屋」仕込みである

「ガツコ」なんぞ行けば 科学とやらで こんな話は「古い」の一語で 

一蹴だ

だども 「古い」「新しい」は 唯の感想にて 批評にあらず

「新しい」は 一晩寝たらば 「古い」に化ける…

やっぱ 爺さんと 泣く子には 

勝てないのかしら

いやいや

解決法が唯ひとつ 彼の「パリコレ」に倣うて

「新しい」のシッポに 「古い」を結んで 輪となす

したば 時代に先駆ける 回転木馬みたいで

常に「新鮮」 と思うのだが 戯言かしら

現代に「批評」は とうに「蠅の武蔵は死んだのさ」

なのかも しれないけど

IT社会などと 恫喝される昨今

何処が川で どれが橋やら 霧の中のフェイクさん

さて

これに対峙する時は

己が「五官」の根っこを しぶとく彫るしか あるまいな

あとは「裡なる嘘」の

密やかなる

太鼓打ちの

阿呆に徹する

べし

 

だって言うじゃぁないか

事実は小説(虚構)より奇なり

したば

小説は事実より奇なり

「嘘」も

また「真」なり

 

 

世に怪しきものの第一は

CM

心めされませ

 

 

会場●若王子倶楽部

京都市左京区若王子町15

電話075-708-2086

会期●5月25日~31日(11時ー18時/無休)

 

●京は電気がありません。故に24日から10日ばかり

あの世にて音信不通

ご無礼ご容赦