塾(優風会)を始めた頃、当時は高校生も来てくれていました。
私は、高校生相手だと英語しか教えられませんので、数学と理科を大学生にお願いして講師をしてもらっていました。
今回も思い出に残る一人の大学生講師のお話です。
「・・で、答えは㋒になるわけだ。」
「先生、(2)の答がまだです。」
「(2)は解かなくていいんだよ。」
「えっ! 何でですか?」
「俺にも解けねぇんだよ。」
「エー、どうしたらいいんですか?」
「何言ってんだよ。俺に解けねぇ問題を解けるヤツなんかいるわけネエだろ。」
「あっ、それもそうか。」
翌年、京都大学の工学部に進んだ生徒が安心したようにうなづきます。彼のことをどの生徒も信頼しきっていました。
高校は函館ラ・サールで、ずっと寮生活だったそうです。4人部屋で将来を語り合った彼以外の3人は全員医学部へ進学したそうです。彼自身は京大の理学部へ。
「すごいなー、ところで京大以外にはどこ受けたの?」
「えっ、何でですか?」
「いや、いわゆるスベリ止めってヤツ。」
「どこも受けてませんよ。」
「えっ、何で?」
「何でって、京大を落ちると思ってませんでしたから。」
「あー、なるほど。」
素直に納得していました。
一度聞いたら忘れない脳ミソ。私が1日中考えて解けなかった図形問題を20分足らずで解いて「イヤ~手強かったです」と笑って解説し、しかも分かりやすい。
バイク事故に合いながら、私に心配かけまいと、ずっとそのことを秘密にしたまま教えに来てくれ、安い給料で申し訳ないと言うと、そんなことのために教えにこさせてもらってるんじゃないですからと、笑って話題を変えてくれる。
就職が決まった時、
「何の会社?」
とたずねると、
「プルトニウムでコーヒーを沸かすような機械のメーカーです。」
って、
分かるか!(笑)
今、彼のインスタには、二人の元気な幼い子ども達とテラスでバーベキューをする様子が顔を隠すことなく堂々とアップされています。
君達のお陰で今の優風会はあります。