歴代の帝(みかど)は仏教徒☆京都・泉涌寺に御霊をまつられています | Yufu Ashtar星の香り☆スタードロップ☆福岡・京都・東京・旭川・美瑛・福島他全国

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恵みのひかりは白衣観音さまから
歴代の帝(みかど)のおはかは、どこにありますか?古墳ですか?

本当の歴史がよくわからない、仏教伝来以前の古代と、明治以降は別として、その間の千数百年間の帝の古墳はないですね。

仏教の伝来後は、神道の神々は仏教に習合されて、帝も「仏教徒」として火葬され、京都・泉涌寺(せんにゅうじ)に御霊(みたま)をまつられています。泉が涌(わ)くところという意味で、空海さんが作った草庵が起こりの寺です。

前々からどんなところなのか、訪ねてみたいとは思っていましたが歴代の帝の御霊をまつる場所に対して・・・一条戻り橋と同じく、何となくこわいような気がしていました(^^;

が、一条戻り橋を訪ねた翌日、ついに脚が向く日がやって来たわけです。そして、やはり、一条戻り橋と同じく、また訪ねたくなるほどに、素敵なところでした(笑)ただ、やはり、陰陽師としては遠回りしてでも恵方から入る、ということでしょう、まっすぐには入らせてもらえず、たどり着くのにけっこう掛かりました!

さて、幕末の帝である孝明天皇、長州サイドに暗殺されたと言われる彼(公武合体=徳川幕府と共に外国を追い払う主張が長州の邪魔になった)も、熱心な仏教徒であったわけで、泉涌寺にまつられています。その肖像や遺品も見ましたが、歴史で植え付けられる過激なイメージは感じられず、ちょっと共感してしまいました。

さて、古墳にしても、仁徳天皇陵墓だとか名前をつけたのは明治以降に推測で名付けただけです。根拠はなく、したがって真実がバレないように國は、考古学的な発掘をさせないのです。

大阪などに点在する古墳は戦国時代には城を築くのにちょうどよく、戦略拠点として、好き放題に土木工事されたほどです。戦国の武家に帝への崇敬があったとしても、古墳が皇室の先祖の墓とか文化財という認識はなかったでしょう。

そして、仏教文化が日本独自に花開いた平安以降の帝たちは譲位するや仏門に入り、剃髪(ていはつ)して、上皇となるのです。そして、身罷(みまか)られると、火葬され御霊をまつられたのです。

泉涌寺はほとんどの方が場所もご存じないかと思いますが、 帝の御霊をまつるところですから、そんなに不便な山奥にあるわけでもありません。京都の都心四条烏丸からバスで30分もかからず最寄りバス停、泉湧寺口にて降り、順調にいけば歩いて15分くらいです。
(バス降りてこっちという矢印を進んで行ったのですが・・・なぜかマップは途中で台地を手前に左に大きく回り込み、その後、山岳コースを指示!)

が、わたしの場合は入り方も導かれるままに直感に委ねますので~参道とは異なるルートに回り道し、30分ほどかかって、山を登る階段を経て、搦(から)め手からドンと本体に入るような道筋を取りました。

その際の脳内会話。

わたし:ずいぶんと遠回りのようですが・・・。
ここも搦(から)め手から入るのですか?

たれかしら:(恵方から入るのはもちろんのこと)
「陽のあたる道を行くが、よき道でおじゃる」

わたし:さ(そ)うでおじゃるか・・・

確かに、台地になった泉湧寺の敷地の境内の端、南斜面にある公立中学高校の敷地のふもとをぐるっと回り込み、日当たりのよき道を歩きました。
10代の爽やかな女子たちがマラソンの練習をして学校敷地の周囲(泉湧寺のはしっこ)をタイムレースして、若々しい息づかいと共に、美しいエネルギーを、放っていました。こちらも爽やかな気持ちになります。

とはいえ、本当にこの道で寺にたどり着くのか?と想いマップで確認してみると、階段を上がる自然歩道のような山道となり、数十段、上ったところに、御寺の門がいきなり現れました。
予想を超える大門と敷地のひろがり。

本当は下の図の泉湧寺道という参道をまっすぐ来るはずが、山道を越えて、いきなり上の大門の横っ腹に、つまり本殿の正面に出没したという山岳ルートでした。(今改めて見てわかりました(笑))
大門から右脇に入る雲龍院も行きたかったのですが!
時間なくまた今度です!

そして、この案内図にはありませんが、引き寄せられたのは実はこの中にある、三宝荒神(さんぽうこうじん)、お寺ですが、神社で、表には出ていませんが三宝荒神はスサノオノミコトが習合した神様です。

先にお寺の方を参詣して、三宝荒神は仕上げにお参りする流れです。


大門は、安土桃山時代の重要文化財。

手前に楊貴妃観音堂があります!
今の支配層がどう脚色しようが、伝統的な宮中文化は古代の中華風なんですよね~。
寒中の椿の花の美しさ。
苔すむ緑の庭にマゼンタの椿の咲きにける
いとをかし。

中は素晴らしいです。撮影禁止ですのでぜひ見に行かれてくださいね。
楊貴妃観音堂の横にはなんと宝物館があり、
その入口のポスターは、歴代の帝の御位牌(いはい)がこの寺にあることをさりげなく知らせています。

古い時代の仏様や、幕末の孝明天皇の歴史的な遺品など貴重な展示がたくさんあり、感動しました(撮影禁止なので~訪ねてみてくださいね)。

中でも、孝明天皇の肖像と、ご遺品の香道具(下賜された)を拝見して、やっぱり明治帝とは顔も雰囲気も全く似てない、と思いを新たにしました。

入口から少し離れて、仏殿が正面に見えます。

泉涌寺の名前の元にもなった
水源の泉を護る
水屋形・・・セオリツヒメを感じるような。

そして、仏殿へ
こちらは江戸時代の再建、
重要文化財
仏堂には
阿弥陀=現在、釈迦=過去、弥勒=未来の
三世仏(さんぜぶつ)がまつられています
(撮影禁止なので現地でご覧くださいね)。

こちらは白衣観音図
撮ったときはわかりませんでしたが、
はるかに天を見上げると
白衣観音からの
恵みのひかりが輝いておりました。
ありがたき
恵みのひかりです。
仏殿の向こうに舎利殿(しゃりでん)
舎利、とは仏陀ブッダの骨のこと。そこから骨の白さになぞらえて、白い米をシャリと言うのですよ。

ブッダは仏像作成やブッダの像を物神化して崇拝することを禁じていたので、その代わりにシャリやら仏足石(ぶっそくせき、足形を彫り込んだ石)を拝むことが始まり、やがては仏像も作られるようになったのです。

元々は塔(五重塔などはそのためのもの)の先端にシャリを納めたのですが舎利殿が作られるようになったようです(高校の歴史の先生が僧家だったので日本史の時間に結構詳しく教えてくれました)。
菊の御紋がありました。



ここでも南天が!
黄色のミカンのような実は、橘(たちばな)でしょうか?

いや~たまたまですよ。
京都の冬の旅キャンペーン期間で
特別拝観できたんですね。

今の時期でないと、素晴らしい襖絵(ふすまえ)など、見られなかったのです。

襖絵には、古代の中国の故事にならった名場面が描かれたり、国際色豊かなものでした。もちろん撮影禁止なので目に焼き付けてきました。

お庭も素晴らしく、
シーンとした中に(騒ぐ外人や日本人観光客ゼロ!)水の滴(したた)る音が、ぴちょん、ぴちょんと美しく響いて・・・
その時の流れの豊かさに感動してしまいました。

ひとりで見て回っていると、ガイドの方が声をかけて解説してくださり、御位牌をまつっている建物は、いざ、火災などがあれば防火扉を閉めるか、持ち出せるようにまとめてあるそうです。
正月行事として、中国宋の時代の発音による式次第て、金光明経に説かれる神々の勧請(かんじょう)が今も行われているそうです。
今でも、皇室の方がここに先祖供養に来られるわけですが、見学した襖絵のある部屋で過ごされるそうです。中の見学を終えて、正面に出て改めて仏殿などを見ると立派ですね。

そして、いよいよ、気になっていた、泉涌寺のすぐ横にある、三宝荒神への道を探します。

何の表示もないのでちょっと迷いましたが、無事に見つけました
ここも弘法大師、空海さんがらみなのです。
ここも正面から入ることは叶わず、横から入り込み、あとから正面を見ました(笑)

安産守護も?

隣は来迎院というお寺です。

布袋尊(ほていそん)


空海さん。この方も困難な航海を経て、唐に渡ったり、全国をまわる旅人でしたね。
空海の独鈷水

ここでお参りすると
焦げた香ばしい線香のような香りが
漂いました!

曇りでしたが
ぼやーっとひかりが感じられるところです。

これは?
7つの花弁の菊の花が3分割されて三位一体に合わさっているように見えます。
屋根にも同じものが。


三宝荒神の左手に摂社がありました。
三宝大明神、神仏習合です。
中は伺い知ることができませんが、おそらく以下の習合した神仏がまつられているものと。
勝軍地蔵尊
こちらが三宝荒神かな?

お札は、隣の敷地の事務所?でいただけるようです。隣のお寺の庭の見学できるのです。


鬼瓦はよくありますが、その右に、お稲荷さんなどでよく見る火の玉のような瓦もありました!

確か前に三宝荒神を調べたとき、かまどや火の神様としても信仰されたと記憶しています。

言うまでもなく、大量の銅剣などがまとめて発掘された、出雲の、荒神谷(こうじんだに)遺跡の荒神も三宝荒神の荒神、スサノオノミコトと関わるということで、それが歴代の帝の御霊をまつる泉涌寺の脇にあるということも興味深いことですね。

ここでようやく、最初に入った門を出て、参道を下り、正面の門前にある由緒書きにたどり着くということになったわけです。
由緒書きにとらわれずに見てこいと言う意味もあったのかもしれません。

小さなお寺かと思いきや、見所たくさんで
時間はたっぷりあったはずが・・・
帰りは余裕を見ていたつもりがギリギリぽいなとなったところで、四条大宮行きの207系統に乗りますと、なんと9条のバス停で降りたら地下鉄に乗り換えできて、早く四条へ向かえることがわかり、即断で下車。

預けた荷物を取りに行って予定より早く新大阪へ向かうことができました!感謝です(^人^)

毎度ながら濃い京の都の小旅行でした。3/18まで特別公開されていますのでタイミング合うかたはどうぞご覧になってきてくださいね。

明日あさっては長崎で、真琴とクリスタルボウルのコラボ演奏会と、レインドロップ星の香りスペシャル施術をさせていただきます。

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