阿輝伯のすごいところを挙げたらキリがないので一つだけ…と思いましたが、もう一つ書かせてください。

 

 

阿輝伯は国民党出身の総統として、継承第7期、8期、9期と約10年間の総統の任をつとめ上げました。第10期総統選挙で、国民党の連戦氏が敗れ、民主進歩党の陳水扁氏が総統に選出されると、阿輝伯は円満な政権移行のために、積極的に新政権である民進党に協力します。阿輝伯はこの時のことを、自身の著書にこのように書いています。

 

むしろ当時80歳に手が届きそうだった私に代わり、40代の若き指導者が現れたことは、台湾の将来のために素晴らしいことだと思った。だから進んで円満な政権移譲に協力し、その後もしばらくは、私のほうから積極的、建設的に新政権に協力したのである。

この政権移譲については、「他のアジアの国々であれば、軍事クーデターが起こっていたかもしれない、じつに際どい局面だった」という人もいる。だが一方で、「李登輝総統の出処進退は、じつに見事であった。長年の民主化と自由化への献身的な努力が見事に結実したということを、身をもって実証した」という前向きの高い評価が世界中から寄せられたことも、また事実である。これも私の公義に基づいた行動が評価されたものと感じている。

もっとも、この政権移譲については、外省人による独裁体制に未練を持つ勢力からの反発は尋常なものでなく、やがて私は国民党を出なければならなくなった。

 

1996年には総統の直接選挙が実現し、2000年の総統選挙では民進党の陳水扁候補が勝利を得た。これは台湾における権力の移動がはじめて行われたことを意味する。しかも、それが平和的に行われたのである。この「平和的に権力が移行したこと」がまた、台湾における民主化の発展に大きな自信と力を与えた。

 

 

日本であれば、政権交代にあたっては足の引っ張り合いだと思うのですが、自身や党の利益など顧みず、台湾のため、台湾の人々のためになることならば大いに喜んで協力を惜しまない阿輝伯の姿勢は、誰もが望む真の国家の指導者のそれに他なりません。

実は阿輝伯は、総統在任中に、既にこんな布石も打っていました。

 

台湾は直接選挙で総統を選び、総統が一切の権限を握るという政治体制を採っている。日本の総理大臣と違って、総統は強大な権限を有する。

しかし、民主主義の政治とは結局のところ「協調」なのである。総統として政権を握ったからといって、一切合切すべてを与党がコントロールするわけにはいかない。野党に対しても相応の権力が配分されるよう配慮しなければ、立ちゆかなくなるのは当然である。

私が総統の任にあったとき、民進党は運営資金が乏しく、党中央部はオフィスさえもっていなかった。そこで、選挙の得票率が一定のパーセンテージを得れば、それに見合った活動資金を国家が出す制度を設けた。これによって、民進党は政党として一応の仕事ができるようになった。

 

 

私はこんな阿輝伯の信念を心から尊敬しています。阿輝伯が総統選で支持をしていなかった候補者が当選した時も、阿輝伯は協力を表明していました。そして例え協力を表明した相手であっても、政策や行動、総統としての姿勢や資質に疑問があれば厳しく批判することもありました。(阿輝伯は馬英九や陳水扁に対してだけでなく、日本に対してもはっきり物申していましたね。)それを「寝返りのはやいこと」とメディアでは批判されていましたが、それはそんな安易で陳腐なものではなく、誰がリーダーになったとしても、足の引っ張り合いではなく、共に協力して台湾と台湾の人々のために尽くそうという阿輝伯の信念に他なりません。共に協力して事にあたるためには、ただただリーダーに追従してご機嫌をとっているだけでは意味がなく、国家と国民のための最良の選択が実行されるよう、時には厳しいことも言わなければならない、ただそれだけの事だと思います。阿輝伯が日本や日本の政治家に強い口調ではっきり物申している時も、憎しみや怒りから言っているとは全く感じられず、私は叱咤激励だと感じていました。

 

私は国家のためなら、党の利益を顧みなかった。政治家は国のために、いつでも権力を手放す覚悟が必要なのである。

司馬氏は「権力は一人ひとりに与えられた力ではなく、制度から敷衍された客観的な力だ」とも述べておられた。権力は必要なときにだけ取り出して使うべきものであり、事に当たるうえで不可欠だが、いつでもそれを手放す覚悟がなくてはならないということである。つまり、権力とは「借り物」なのだ。

私はひたすら権力にしがみつく政治家を愚かだと思う。「借り物」を私物化し、権力をすっかり握ってしまうのは、腐敗の第一歩である。

(「最高指導者の条件」より)