自己嫌悪がぐるぐる回って消えたい衝動が半端ない。

久しぶりに頓服で出されてるセルシンに手を出したけど、全然気持ちが落ち着かない。

 

きっかけは習い事の先生の言葉。

発表会で彼女と弾こうと思ってた曲が却下されたこと。

もともと別の曲で決めてたけど、「こっちでいいじゃん」って変更することにした。

けど、それが先生の逆鱗に触れたらしい。

私が直接言われたわけじゃないからどういう話の流れだったのかは知らない。

でも彼女曰く「先生キレてる」「楽しいだけでやりたいなら勝手にすればいいけど、ちゃんとやる気なら順序踏め」みたいな感じだったらしい。

「好き勝手やんの? それともちゃんとやる気あんの?」

その二択を迫られたわけだ。そして「ちゃんとやる」の方には、細かな指示があった。

これをする、これをする、これをすること・・・

もちろん、ちゃんとやって上達したいという気持ちはある。

でも、「こうしなければいけない」と枠組みに嵌められた瞬間に息苦しくなる。

今までは自由にのんびりやってきた。その中で、自分の課題にも向き合ってきたつもり。

でも枠が提示されて、途端にそれがシャットダウンされたような、足かせが嵌められたような、そんな気がしたんだ。

 

 

好きなことを仕事にすると、「好き」だけでいられなくなって、好きだったものが嫌いになる・・・というのはよくある。

本当に好きなことは「趣味」だけにとどめておいた方が幸せ、って話もよく聞くし、私もそうだろうなと思う。

自分が、好きなことを仕事にしているから。

習い事は、単に「好き」だけで始めたことだった。

それ以上も、それ以下もないものだと思ってた。

仕事にするときのような、妙な「責任感」だとか「義務感」だとかがない、自由な世界だと思ってた。

それが、あの二択で途端に変わったような気がした。

もちろん、「楽しいだけでいい」って選択肢を取ればいい話なんだ。

でも、それでレッスンの内容が変わるのは見えてる。先生のモチベーションも。

今までの、その二択に答えを求められずグレーゾーンでやってきたレッスンは、多分なくなる。

どっちかに、染まらざるを得なくなる。

「楽しいだけでいい」と答えれば、先生は失望するだろう。「この程度の気概だったのか」って。

そのときの失望の色に染まった目を、私は見たくなかった。

 

 

失望、軽蔑、その目が向けられることが、一番怖い。

父の目を思い出す。

「失望させるな」と言った父の言葉と、冷ややかな目が。

私の人生は、いかに父を喜ばせるか、父に認めてもらうかに左右されてきたように思う。

いつだって、父に失望されるのが怖かった。

それが転じたのか、他人に失望されるのが怖い。

嘘をつくのも、自分を良く見せようと演出するのも、他人の顔に落胆の色を見たくないから。

すぐに逃げるのも、相手から失望をはっきりと身体感じるのを極力避けたいから。

 

 

どうしてグレーゾーンでおいておいてくれなかったんだろう。

先生の言葉に動揺して、彼女にだいぶダメージを食らった旨を書いたメールを送ってしまった。

彼女は、私が何を言ってるのかほとんど理解できなかったみたい。

私の思考がまったく彼女の思考とかけ離れてたんだろうな。

変なことを言うんじゃなかったって、後悔ばかりがぐるぐる回ってる。

嫌われたんじゃないか、鬱陶しいと思われたんじゃないか、もう一緒にやるの面倒だなって思われたんじゃないか。

自分から、一緒にやるのはもうやめようって言ってしまいたくなった。

言われるくらいなら、自分から言った方が傷つかない。

いつだって先に逃げたい。

相手の気持ちを忖度するより、自分が傷つきたくない。

 

 

そんな自分が生きづらい。

消えてしまいたい。

 

私の人生はいつだって嘘で塗り固められてた。

 

きっかけはたぶん、父が「お母さんを悲しませることだけはしちゃいけない」って言葉だったと思う。

まだ小学生くらいだったのか、それとも幼稚園の時だったのか、とにかく小さい頃に言われた言葉。

その言葉を、守らなければいけないと思っていた。

お母さんを悲しませちゃいけないから、学校であった嫌なことは決して口にしない。

お母さんを喜ばせなきゃいけないから、喜びそうなことを口にする。

簡単に嘘をつくようになった。

ありもしない楽しい話をでっち上げて、褒められてもいないことを褒められたと脚色して、

そうしているうちに、嘘が当たり前になっていた。

実際の自分は、母に語った自分とは違う。

でも嘘で塗った自分を母は愛していたし、それに父はたぶん満足していたし、作り物の自分でいた方が愛されるのだと思ったのかもしれない。

 

 

それは、普段の人間関係にも敷衍した。

相手に合わせて自分を偽る。相手が喜ぶ自分を演出する。

嘘が、「ツナギ」になってた。

ありもしない失敗談を語って笑いを取ったり、偽の経歴で気を引いたり。

彼女に対してもそうだ。

姐御タイプで相手をいじるのが好きな彼女に対しては、いじられるのが好きなMキャラを通してる。

性的に奔放で派手な過去を送ってきた彼女に合わせて、派手な性生活を演出してみたり。

ほんとは別に、Mキャラなんかじゃないし、奔放な性生活も送ってないし。

それでも、そういうキャラでいることが彼女と仲良くいるための「ツナギ」だと思ってる。

実際それは間違ってない。類は友を呼ぶというから、似たような境遇ということが彼女と距離を縮める理由になったわけだし。

これまでの友達に対して、いつでもそうだ。

そうやって、相手に合わせて自分の姿形を変えてきた。

そう、必要に応じて肌の色を変えるカメレオンみたいに。

 

 

でもふっと我に返ったときに、元の色が思い出せなくなっていることに気づく。

本当の自分ってなんだったっけって。

自分の本心が見えない。

なにが嫌で、なにが楽しくて、なにが欲しくて、なにをどうしたいのか、

フィルターを介さないと、感情が見えてこない。

自分がわからない。

 

 

気持ち悪い。

今、何色なのかもわからない。