密かに目指しているトライリンガル。
出来たらいいなーっと思って、アメリカに来てからも中国人には中国語で話してます。
いつも途中でわからなくなって英語にしてもらうんだけど。。。
以前にミクシーやアメブロのメッセージで中国語を教えて下さい。って言って下さる方がいたのですが、
とんでもない!!おいらの中国語教えられるレベルではありません![あせる](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
簡単なことなら話せるけど、知ってる単語を並べて話してるだけなので正直自信ありません![あせる](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
ほんと、すみません![汗](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/028.gif)
おいらが中国語を勉強し始めたのは4年くらい前。
中学の時に一度張り切ってやったことあったんだけど、すぐにやめてしまいました。(何でだったんだろ??)
周りからお母さんが先生になってくれるからいいね。って言ってくれるのですが、実はあまり協力はしてくれません![ガーン](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/141.gif)
なので自分で本を買って(初めての中国語みたいなの。)一からスタート。
ニーハオとかツァイチェンとか。ミクシーのコミュで個人レッスンにも通ったり、NO◯Aのレッスンにも(テレビ電話の)やったこともありました。
自分の出来る範囲でのペースだったのでいつの間にか疎かに。。。
それでも本での勉強は続け、習ったものを母親で実践したりしてました。
そしておいらの中国語勉強にちょっと拍車をかける出来事が。(←ちょっとだけかい。)
それは派遣先での現場で、某観光地での販売の仕事。
そこは有名な場所だったので毎日色んな国からの観光客が来てました。
特に台湾人中国人が多く、「話したい!」に思ってたおいらにとって絶好の場所でした。
実はそれまで、習ってた中国語を話したのは母親だけだったんです。親戚には一度も話した事はなかったのです。
食べ物の販売だったので、「明日までに食べて下さい。」を必ず言わなければいけなかったのです。
初日で初の中国人のお客さん。とりあえず知ってる単語を並べました。
「這個(これ)吃(食べる)到(~まで)明天(明日)」
これでも何とか通じたんです。
それを続ける事数日。ある日中国人のお客さんからさらに質問が。
正直わからない。。。何言ってるの??聞き返してもわかることは、明らかに自分の習ってない単語を話してるということ。。。
英語が話せない方だったので、とにかく明日には食べてってことを伝えたのを今でも覚えてます。
悔しいのと、こんなレベルなら話さない方がいいのかなって思ってしまいました。
なのでその時話された単語をカタカナにして音も(ピンイン)書いて家に帰って母親に聞いたんです。
「おかん、この単語ってなーに?こういうシチュエーションで言われたんだけど。。。」
と聞いたら
「それは"做"よ。(作る)」
あのお客さんは「いつ作ったのですか?」と聞いてたんです。
「そっかー。。。」ということで母親から色んな言い回しを教えてもらい、その翌日から実践。
聞かれてもいないのに、「これは昨日作りました。」を一日言ってた気がします。
お客さん同士で話す会話も聞きながらメモしたり、わからなかったら素直にわからないと伝え、カタカナと音もメモし母親に聞く。そして中国語を勉強する量を増やし、今度はお会計に必要な数字の言い方も覚えました。
四桁になると音や発音が難しく、通じない事もたくさんありました。
そして嬉しい事がありました。派遣会社の営業の方から、「現場の方が、夕月さんは観光客の人達に中国語や英語で対応してくださるので助かってるっておっしゃってましたよ。」
嬉しかったです。
そんな日々が続く事半年。おいらの派遣としての期限が切れる頃には、ここでの仕事のやりとりの中国語はできるようになりました。苦手だったお会計も噛む事が少なくなりました。
ここでの勤務はストレスもたくさんありましたが、たくさんの会話力をつけさせてもらいました。
本当に大きく伸びたと思います。今でもその時使ってた、カタカナの中国語や仕事内容が書かれたメモ帳が残ってます。
そして今はおかんがいなくてもなーーーーんとか親戚とは簡単な会話出来るように。
でもでもまだまだたっくさん知らない単語あります。まだまだ習わなければいけない言い回しもあります。
正直忘れてしまってる単語もあります。音もあります。
語学は技術と教えてもらったように、使わなければ忘れてしまう。うちの母親も言ってました。
だからこれからも自分のペースで勉強すると思います。
そして親戚たちと中国語で話せるようになるのが1つの夢なのです。
長くなってしまいましたが、読んでくれてありがとうございました☆
出来たらいいなーっと思って、アメリカに来てからも中国人には中国語で話してます。
いつも途中でわからなくなって英語にしてもらうんだけど。。。
以前にミクシーやアメブロのメッセージで中国語を教えて下さい。って言って下さる方がいたのですが、
とんでもない!!おいらの中国語教えられるレベルではありません
![あせる](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
簡単なことなら話せるけど、知ってる単語を並べて話してるだけなので正直自信ありません
![あせる](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
ほんと、すみません
![汗](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/028.gif)
おいらが中国語を勉強し始めたのは4年くらい前。
中学の時に一度張り切ってやったことあったんだけど、すぐにやめてしまいました。(何でだったんだろ??)
周りからお母さんが先生になってくれるからいいね。って言ってくれるのですが、実はあまり協力はしてくれません
![ガーン](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/141.gif)
なので自分で本を買って(初めての中国語みたいなの。)一からスタート。
ニーハオとかツァイチェンとか。ミクシーのコミュで個人レッスンにも通ったり、NO◯Aのレッスンにも(テレビ電話の)やったこともありました。
自分の出来る範囲でのペースだったのでいつの間にか疎かに。。。
それでも本での勉強は続け、習ったものを母親で実践したりしてました。
そしておいらの中国語勉強にちょっと拍車をかける出来事が。(←ちょっとだけかい。)
それは派遣先での現場で、某観光地での販売の仕事。
そこは有名な場所だったので毎日色んな国からの観光客が来てました。
特に台湾人中国人が多く、「話したい!」に思ってたおいらにとって絶好の場所でした。
実はそれまで、習ってた中国語を話したのは母親だけだったんです。親戚には一度も話した事はなかったのです。
食べ物の販売だったので、「明日までに食べて下さい。」を必ず言わなければいけなかったのです。
初日で初の中国人のお客さん。とりあえず知ってる単語を並べました。
「這個(これ)吃(食べる)到(~まで)明天(明日)」
これでも何とか通じたんです。
それを続ける事数日。ある日中国人のお客さんからさらに質問が。
正直わからない。。。何言ってるの??聞き返してもわかることは、明らかに自分の習ってない単語を話してるということ。。。
英語が話せない方だったので、とにかく明日には食べてってことを伝えたのを今でも覚えてます。
悔しいのと、こんなレベルなら話さない方がいいのかなって思ってしまいました。
なのでその時話された単語をカタカナにして音も(ピンイン)書いて家に帰って母親に聞いたんです。
「おかん、この単語ってなーに?こういうシチュエーションで言われたんだけど。。。」
と聞いたら
「それは"做"よ。(作る)」
あのお客さんは「いつ作ったのですか?」と聞いてたんです。
「そっかー。。。」ということで母親から色んな言い回しを教えてもらい、その翌日から実践。
聞かれてもいないのに、「これは昨日作りました。」を一日言ってた気がします。
お客さん同士で話す会話も聞きながらメモしたり、わからなかったら素直にわからないと伝え、カタカナと音もメモし母親に聞く。そして中国語を勉強する量を増やし、今度はお会計に必要な数字の言い方も覚えました。
四桁になると音や発音が難しく、通じない事もたくさんありました。
そして嬉しい事がありました。派遣会社の営業の方から、「現場の方が、夕月さんは観光客の人達に中国語や英語で対応してくださるので助かってるっておっしゃってましたよ。」
嬉しかったです。
そんな日々が続く事半年。おいらの派遣としての期限が切れる頃には、ここでの仕事のやりとりの中国語はできるようになりました。苦手だったお会計も噛む事が少なくなりました。
ここでの勤務はストレスもたくさんありましたが、たくさんの会話力をつけさせてもらいました。
本当に大きく伸びたと思います。今でもその時使ってた、カタカナの中国語や仕事内容が書かれたメモ帳が残ってます。
そして今はおかんがいなくてもなーーーーんとか親戚とは簡単な会話出来るように。
でもでもまだまだたっくさん知らない単語あります。まだまだ習わなければいけない言い回しもあります。
正直忘れてしまってる単語もあります。音もあります。
語学は技術と教えてもらったように、使わなければ忘れてしまう。うちの母親も言ってました。
だからこれからも自分のペースで勉強すると思います。
そして親戚たちと中国語で話せるようになるのが1つの夢なのです。
長くなってしまいましたが、読んでくれてありがとうございました☆