北京オリンピックが目前に迫って来た。

 YUZUは謙信公の戦いのセオリーと、自分が戦いのリンクに挑むときのセオリーが似ていると言った。

 そうかもしれない。

 戦国の世でありながら戦を良しとせず、身を退いて出家の身となりながらも家臣と民に望まれて、世を平らかにするべくまた戦場に赴いていく謙信公の信条と、国民や世界中にいるファンの思いに推されて、、三たびオリンピックの舞台へと歩を進めるその信条、これらは酷似しているのかもしれない。

 得体のしれない未知なる4A,それでも全日本の舞台で両足着氷に漕ぎ着けた、もうこれで終わりにしてもいいのではないかという自分と、「羽生にしか出来ない」と言われる期待に、彼はやはり葛藤したと思う。

 然し、全日本で優勝し、あのオリンピック出場者しか着ることの出来ない、ジャパンのジャージに袖を通したとき、彼の心は、彼の言葉でいえば、寸分の迷いも無く戦いに行くと決めたのだ。

 戦うからには勝たなければならない、これこそが謙信公が示した道、戦いに迷いは一切あってはならない。

 答えは一つ、勝つことこそ正義。

 かつて、19歳でソチの初陣を勝ち取り、その胸に輝く金メダルを掛けたあの日、青年はつぶやいた。

 「金メダルを手にしたからこそできる何かがある。これからが第一歩です」と。

 立派に成長した青年が、今度は彼の生きざまで人々に勇気を与える。