昨日、八千代台に向かう前に
地元のユアエルムの書店でぶらぶらしていました。
夏休みらしく、平積みにされた文庫本が並んでいました。
以前も書きましたが、読書がひどく苦手で
読書したいと思っているにもかかわらず実際に本が読めない。
夏休みに書店の推薦書を求める彼らと同じように
かつての僕も本を買い求めましたが
最後の一行を読むことなく、何冊もの本が闇に消えました。
故に書店はそんなに好きな場所ではない。
お尻もムズムズしてくるし。
とはいえ、なんとなく時間を潰せると考えるなら
嫌いな場所とも言えないかもしれない。
そんな感じで、昨日、八千代台に(以下略
新潮の100冊のコーナー。
ある一冊が目に止まりました。
タイトルではさほど興味がある本とは考えませんでしたが
なぜか気になる。
手にして数ページめくってみて
この本から蒸気が立ち上るのを感じていた…。
『フェルマーの最終定理』サイモン・シン著
現在100ページほどのところですが
今の僕の心境は
「中学の頃にこの本と出会っていれば
確実に人生が変わっていたなあ…」
数学者を目指すかどうかはわからないけれど
少なくとも数学を見る目が変わっていたのは間違いない。
たぶん数学に何らかの異なったアプローチをしていただろうし
あるいは、日常の思考に数学が深く影響しただろう。
自ずと理系の苦手意識は軽減、解消していただろう。
そしてあの日、最終の生物の試験を放棄する自分はいなかっただろう…。
数学、数論は思考の解放だと今になり気づいた。
あの頃、周りにいた優秀な同級生たちが
この世界を垣間見ていたかと思うと
悔しささえ感じてしまう。
15年遅いんだよ、自分…。
15年前にはこの本はありませんけどね(*>ω<)
この本には数学という極地と
それに挑む数千年にわたる生身の人間の歴史という
ものすごい振り幅の物語が封じ込められている。
ある意味、物語の醍醐味を最大限で感じられる本かもしれない。
地元のユアエルムの書店でぶらぶらしていました。
夏休みらしく、平積みにされた文庫本が並んでいました。
以前も書きましたが、読書がひどく苦手で
読書したいと思っているにもかかわらず実際に本が読めない。
夏休みに書店の推薦書を求める彼らと同じように
かつての僕も本を買い求めましたが
最後の一行を読むことなく、何冊もの本が闇に消えました。
故に書店はそんなに好きな場所ではない。
お尻もムズムズしてくるし。
とはいえ、なんとなく時間を潰せると考えるなら
嫌いな場所とも言えないかもしれない。
そんな感じで、昨日、八千代台に(以下略
新潮の100冊のコーナー。
ある一冊が目に止まりました。
タイトルではさほど興味がある本とは考えませんでしたが
なぜか気になる。
手にして数ページめくってみて
この本から蒸気が立ち上るのを感じていた…。
『フェルマーの最終定理』サイモン・シン著
現在100ページほどのところですが
今の僕の心境は
「中学の頃にこの本と出会っていれば
確実に人生が変わっていたなあ…」
数学者を目指すかどうかはわからないけれど
少なくとも数学を見る目が変わっていたのは間違いない。
たぶん数学に何らかの異なったアプローチをしていただろうし
あるいは、日常の思考に数学が深く影響しただろう。
自ずと理系の苦手意識は軽減、解消していただろう。
そしてあの日、最終の生物の試験を放棄する自分はいなかっただろう…。
数学、数論は思考の解放だと今になり気づいた。
あの頃、周りにいた優秀な同級生たちが
この世界を垣間見ていたかと思うと
悔しささえ感じてしまう。
15年遅いんだよ、自分…。
15年前にはこの本はありませんけどね(*>ω<)
この本には数学という極地と
それに挑む数千年にわたる生身の人間の歴史という
ものすごい振り幅の物語が封じ込められている。
ある意味、物語の醍醐味を最大限で感じられる本かもしれない。