先日火曜日に、日本演出家協会の
国際交流セミナーのシンポジウム、
「アジア演劇の抵抗と希望」に於いて
英語担当の通訳をして来ました。

刺激的過ぎる時間を過ごし、
飲んで帰ってからも興奮冷めやらず
思考が収まりませんでした。

通常通訳としてした仕事について
後で語ることはしないのですが、
今回はそこで語られたことが
自分の中のジレンマと強く結び付く
ところがあったので、
その空間を体験した一表現者として、
少し個人的な感想を語りたいと思います。

今回のシンポジウムには、
パネリストとして、インド、フィリピン、香港、上海、韓国から集まったパフォーマー、俳優、演出家、ダンサーの方々が登壇していました。

流れとしては、
それぞれが自身の活動を紹介して、
その個別の活動の中から、
西洋に対してのアジアの演劇という
共通の枠組みをどう見出せるのか、
という話になる予定でした。

ですがそこで浮かび上がって来たのは、演劇とは、表現とは何か、というより根本的な問いでした。

そもそも、今回のパネリスト方は、
Asia meets Asiaという、
大橋宏さんという演出家の方が
十数年に渡って開催している、
アジア各地で草の根的に
自分たちの社会問題と演劇を通して向かい合っているアーティスト方と
コラボレーションで作品を作る
という企画の本年度の公演、
Unbearable Dreams 8
(9/10(水)-13(土)@プロト・シアター)
に出演するために集った方々で、
それぞれが世界との向き合い方に
極めて意識が高い方々でした。

それぞれの国が抱えている社会問題ー
宗教の問題、労働者の格差問題、
中央権力による民衆の弾圧、
度重なる植民地化によるアイデンティティの混乱の問題、
それらに対して演劇という手法で
働きかけてきた実体験の話には、
当事者が語ることでしか生まれない
安易に批判できない迫力がありました。

そこから見えてきたのは、彼らは
演劇という手法に乗っ取って、
社会問題の被害者となった方々の
個別な事例の代弁者となり
似たような境遇にある人たちの共感を誘い、
そこにある種のカタルシスを生み出しているのだという共通点でした。

彼らの最大のモチベーションは、
演劇の力を使って一人でも多くの人に
問いを投げかけることであり、
アーティストとしての成功や、
地位や名誉の向上ではありません。

彼らはある使命感の下に
一人でも多くの人に
自分の国の人々が今背負っている
この現状を伝えたいという意志を持って
限られた時間に収まり切らないほど
必死に自身の活動の紹介をしていました。

それも彼らにとっては一つの演劇、
パフォーマンスだというのが伝わりました。

その中で一際異質だったのが、
フィリピンから参加している
アンジェロ・アウレリオ氏でした。

〈次回につづく〉

文中に紹介した、
シンポジウム参加者が集って創り上げているパフォーマンスが土曜日まで高田馬場/下落合のプロト・シアターで上演しています。歴史を背負った一人一人の人間の身体が体現する最小限の実験的な表現を目撃する中で、演劇とは何か、人がこの世界で生きるとは何か、問い直させられる刺激的な公演になることと思います。
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