オーディション(AD)の日のことは断片的にしか覚えていない。朝から感じたことのない緊張感の中でスタッフルームについたことと、いつ来るかわからない自分の出番を待つ時間がスローモーションで流れていたことと、普段と変わらず作業をするスタッフの方たちが時折ニヤつきながら応援してくれたことくらいしか覚えていないのだ。午前中から多くの参加者が事務所に訪れ、緊張感があった。朝、助監督のボスから隙間ができたら呼ぶから準備しとけと言われ、セリフを口ずさみながら1時間に一度はトイレに行き、いつ呼ばれても行ける準備をしていたのだが、それから半日は呼ばれることがなかった。ADに参加する先輩たちがいなくなったスカスカのスタッフルームをウロウロ歩き...本来の助監督としての作業には全く手付かずな自分に「今日は仕方ないよ、ADに集中しな」と言ってくれた先輩の優しさがより自分の緊張を助長してきたことを忘れられない。集中はしようと思えばするほど散漫することを知った。じっと座ることすらできない状況で残りは最終組だけとなった頃、このまま呼ばれずに終わるのではないかと頭をよぎった。それはそれでいいか、本来受けるはずのないADなのだから、先輩たちの冗談だったのだと思えば緊張が和らぎ楽になった。こんな緊張感の中で多くの若い役者たちは役を掴み取るためADに参加しに来ていることを実感し尊敬した。俺に役者なんかできるわけない。俺が気軽に参加していいわけない。そう諦めがつくと椅子に座りながらクルクル回れるくらいに胸が軽くなった。が、そんなタイミングでボスから電話がきた。「さぁ降りてこい。最終組に遅刻者がでたからその前にやるぞ」「はい、今降ります」心臓が飛び出すのを防ぐように、立ち上がった。”さぁ”と始まった一声に現場の期待値を覗かせ、足を震わせてきた。
AD会場に入ると八から十席のパイプ椅子が並んでおり、朝から十組以上やっていたのだからどれだけの俳優が参加しているのかを想像させられた。だがこの時間は自分しかいないのだ。組と組の間のなんでもない時間なのだから。普段から一緒に作業をしているスタッフたちが全員揃って自分に視線をそそぐのは初めてだった。人の視線というのは怖い。どれだけ気の知れた人間であっても。相手役の代役を勤めていたのは、普段から一番飲みにも連れて行ってくれている先輩だった。助監督としてADの相手役を務めるのは業務の一環だが、笑ってしまいそうになる。しかしそれは相手も同じであろう。ただこの時間を笑いに置き換えてしまったらこの先、自分は一生笑いながら行きていかなければいけないような気がした。怖さを笑いに変えて生きてきた自分を変えたかった。通常のADでは椅子に並んだ参加者が一人づつ、「〇〇オフィスからきた〇〇です。年は〇〇、特技は〇〇...」などと簡単な自己紹介をするのだが、自分にそれは必要なかった。皆が知っているから。そんな時間すらなく、すぐに芝居のADが始まった。シーンは自分が演じる高校生のマコトが死に急ぐ老人になぜ死にたいのかを問うシーンだった。余談もなく監督が「ヨーイ、ハイ」と言って手を叩くと、何もかもを忘れることができた。不思議だった。セリフが言えたのかどうなのかは自分にはわからなかった。「カット」と監督の声で現実に引き戻されると、恥ずかしさが込み上げてきた。監督が嬉しそうに笑っていた。正直に言うと今、ブログを書きながら思い出した。自分も嬉しくて笑っていた。怖さを隠さず、緊張を隠さず、その時のそのままの状態にセリフを乗せることができて、たった一ページのAD台本であっても、演じることの魅力に触れることができてよかったと思う。それが今の自分にも貴重な経験になっている。なぜなら、もう一度この時のADのような体験を求めて今でも芝居をしているのだから。これが不思議となかなか出会うことができないことをこの時は知る由もなかった。芝居が終わり、監督から、入り口から会場の隅まで歩いてと言われ、ただ言われるがまま歩いてADは終わった。
なんだあれ...。様々な疑問が残る中、喫煙所で煙草を吹かす。緊張から解放された至福の時間だ。最終組のADも終わると、スタッフの方たちも緊張を脱ぎさろうと喫煙所に駆け込んできた。「お疲れ様です」それを言えるAD参加者は自分だけだ。受ける側も視る側も同じく神経を使うのだ。お互いに一時の休息を煙草を吹かしながら...なんて思っているとボスが自分を呼びつける「まぁ今回は助監督に専念してくれ」。落ちた。最速の脱落者だ。そりゃそうだ、まさか受かるはずもない。変な期待は一秒でも短いに越したことはない。「ただ。お前ともう一人で協議になった。それで俺は助監督と兼任できるような役ではないから反対した。それはすまない」「いえ、それは当然です。引き続き頑張ります」そう言うしかなかったのだが。えっ!自分かもう一人の誰か?それを知った瞬間に、悔しさがこみ上げてきた。やりたかったと言うのが本心だったのだ。その後、監督からも言葉をかけてもらった。理由はいろいろあるのだがその多くは自分の胸に秘めさせもらうが、「歩き方が違った」これは鮮烈な言葉として残っている。最後の最後に歩いただけと思っていたことが、人を見極めるのにどれだけ直結することになるかを教えられた。それから現在に至るまで、正しい歩き方を探りながら、さまよいながら、歩いている。どこに辿り着くのかはわからない。「どっかで使うから、準備してて」監督が去り際に言った。これは、落ちたのだが受かった?のかな。結果は一つじゃない。ぜひ『あゝ、荒野』観てください。どっかで本当に使ってくれているので。自分が初めて俳優になった日が荒野であったことを誇りに思っています。あの日、遅刻してくれた俳優には感謝しないといけないな(笑)
相手役の先輩・岡下さん
今月放送の『ロスト・アンド・ファウンド ~君を探して』で演出を務めてます。
自分もちょっとですが出演してます。親父がもっと出てます。悔しいです…。

