2016年、専門学校を卒業してすぐに決まった仕事が『あゝ、荒野』である。自分と面識のある方であれば知っている方も多いのだが、あえて補足をしておくと、寺山修司原作のボクシング映画だ。主演は菅田将暉、ヤン・イクチュン。監督は岸善幸。この『あゝ、荒野』に参加したことが今の自分の核となっていることは確かである。けれど、この作品に参加することになったのは予期せぬ選択であった。

 専門学校を卒業する少し前、まず初めに誘いをかけてくれたのは前回のブログで綴った、死ぬ寸前まで追い込まれながら初めてちゃんと参加した映画の助監督の方からだった。そもそも助監督という仕事がわからない方にも説明しておくと、助監督というのは一人ではない。演出部と呼ばれることもあるのだが、監督をサポートする役職の呼び名である。チーフと呼ばれるのが主にクレジットに表記される助監督のボスである。撮影全体のスケジュールを管理するのが役割である。その次にセカンドが衣装とメイクを管理し、撮影の進行を仕切る。その下にサードと呼ばれる美術を管理しながら、撮影全体のサポート係に徹する者が就く。その下にフォースと呼ばれるさらにお手伝いが参加することもあるのだがここは見習いという扱いであろう。また自分が学生時代にインターンとして参加していた時の役割はこのフォースに近い業務を行なっていた。撮影前後の準備や片付け、カチンコと呼ばれる撮影の合図を知らせるハンドガンのようなものを鳴らす役割だ。これらの体制も、期間や予算によって体制も業務も変動性は幅広いのだがざっくりこのような体制であろう。

 話を戻すと『あゝ、荒野』に誘ってくれた助監督の先輩は、初現場のボスであるチーフからの誘いであったのだから当然のように感じるだろうが、まず初めに誘いを受けたのはセカンド助監督の方からだった。顔面凶器と呼ばれていた先輩だったが、それはどんな過酷な状況でも撮影を進行し続ける屈強な精神と肉体の持ち主であることから、顔色ひとず変えず黙々と働き続ける人間トラクターのような様からきた褒め言葉である。と、自分は解釈しており、今でも尊敬している。この先輩から誘ってもらったのは年の瀬であったが、大人気ドラマシリーズの映画化ということもあり、準備に時間がかかりなかなか撮影が始まらずに待機している時間が長かった。そのタイミングで誘いがきたのがサード助監督からだった。超巨匠の新作で規模もでかく、誘い文句は「あったかいメシが食えるぞ」であった。それは是非参加したい。でも、先にお誘いを受けている旨を伝えると、先輩同士が相談することになり自分の決定権は先輩たちに委ねられることになった。だがしかし、そんなタイミングで誘いをもらったのがチーフ助監督からの『あゝ、荒野』だったのだ。誘い文句は「ボクシングするぞ」。自分は幼少期からボクシングが大好きであったからボクシング映画に参加できるのはとても嬉しかった。しかし現状二人の先輩に誘いを受けていると伝えると、チーフの先輩は「ちょっと待ってろ」と言って電話を切り、1時間もしないうちに「お前は俺がもらった」と言われ、自分の決定権など微塵もないまま『あゝ、荒野』への参加が決まったのだ。それはそれで嬉しかったのだが、もし他の二つの作品に参加していたらどうなっていたのか今でも想像することがある。お世話になった先輩たちがみんな誘ってくれて自分自身鼻高々といいますか、俺って優秀なんだなと陶酔しきっていたのを覚えている。本当にあの現場から逃げ出さなくてよかったと思った。だが当時から助監督というのは危機的な人員不足であり、やる気と根性さえあれば誰でもよかったというのが実際のところだろう。だがこの時気付いたのは、自分の人生というのは自分自身で決めているようで、その都度誰かによって流れを決めてもらいなが生きているんだと。先輩たちの関係性やタイミングが少し違っていれば、行きつく先は別の場所であっただろう。『あゝ、荒野』に参加した時から自分の人生というものは、自分の意志では舵を切れなくなっていたのだ。地図やコンパスもなく、どこに辿り着くのかわからない漂流船に一人、大海原を潮の流れに身を任せ、まさに”縁と運”に揺られながらの航海が現在まで続くことになるとはこの時は思いもしなかった。

 潮の流れに揺られながら荒野に合流した初日、台本を受け取るとその日は一日台本を読むだけ(と言っても6時間分あるので大変な作業であることを知っておいていただきたい)で、時間が経つにつれ集まってくるスタッフの方々に挨拶をする。第一印象は肝心だ。今でも忘れることができないのだが、キャスティングの方に挨拶をすると「え、マコト?」と言われた。どっかで会ったことありましたかと思ったがそんなわけはなく。「石橋です」としか答えることができないでいると、「マコトって役がいるのよ。あんたみたいな。読んでたら出てくるわ」と。それから急ピッチに台本を読み進めたが一向に出てこない。。ちょっとした役なのかと思いなが読み進めていると、監督が来た。どのスタッフにも敬意を持って挨拶をしていたが、監督というのはまた格別だ。監督次第で今後の自分の働き方は大きく左右されるのだから。とにかく挨拶が大事!と強く思えば思うほど声が出ない。「...あの今回助監督でお世話になります、石橋です。よろしくお願いします」ちゃんと言えたはず、しかし監督は「...おぉぉ...よろしくお願いします...」どこか他人行儀に、だが自分の顔を見ながらニヤニヤしながら「親父に似てるね」と言われた。父は俳優だ。それを隠すつもりはないが、自分から言うことはなかった。しかし、この業界そういった血縁の話はネタになることが多い。善くも悪くも。まぁバレてるか、バレるなら早い方が良い、それくらいにしか思わなかった。「ご飯食べた?」「いいえ」「じゃあ飯くいいこ」そんな流れでスタッフの方々とランチを食べに行った。初日の緊張がフッと緩んだ。岸さんはそういう人なんだ。最初の印象は今でも忘れない。とても優しい人だ。優しいにも種類があるが、よく感じる優しさではない、岸さんにしかない優しさ。それが荒野の監督。

 食後に監督と喫煙所で煙草を吸っていると、先ほど挨拶したキャスティングの方が細い煙草を指に挟みながら入ってくる。全員「お疲れ様です」。社会人の挨拶はお疲れ様ですから始まるのかと思った。キャスティングの方が、自分を指さしながら監督に「マコト、どうですか?」と煙草に火をつける。自分は背筋を伸ばしなんのこと?ジッと様子を伺うことしかできない。すると、監督が「いいですね」と。自分はまだそのマコトという人物が何者なのかを知らない。キャスティングの方が自分に「今度マコトのオーディションやるから受けたら?」と、まず出た言葉が「はい、受けたいです」だった。いや、待てよ。俺は助監督としてやって来たんだ。これから監督になるために。それなのに台本もらって、挨拶して、ランチして、煙草ふかして、俺はどうやら合流初日にオーディションを受けようとしている。なんで??? <続く