大好き。
ほんまに大好き。
あたしは面と向かってそう言えたことって今までないんじゃないかなと思う。
どこか表面的で、
言葉だけで、
その裏には
試したり、
確認したり、
嫌われてるんじゃないかっていう
潜在的な恐怖を抱えていた。
お母さんにも
お父さんにも
妹たちにも
おじいちゃんにも
おばあちゃんにも
大切な大切な友達にも
恋人にも
お世話になった人にも
人との関わり方がよくわからなくて、失敗を重ねた小学校時代。
誰かと一緒にいても、いつかは裏切られる、あたしは嫌われてるんやって思ってた。
まじで休憩時間になっても席を動かずに、目線を下に固定したままひたすら本を読んでる時期があった。
何かをクラスで決めるときは、ひっそりとしてたし、表舞台に引きずり出されそうになると必死で逃げた。
あたしがそんな大それたことしていいはずがないって思ってたから。
リーダーとか、そんな役をしようもんなら攻撃されるに違いないって思ってた。
でも、保育所のころはそんなんじゃなかった。
負けず嫌いを絵にかいたような子やったし、先生からの評価はリーダーシップを発揮する子みたいなことも書かれてたw
自分は誰かに好かれてるなんて自信がなかった。
いや、正直、今も自分が誰かに好かれてるなんてちょっと信じられん。
でも、そう思うことがすごく失礼なことなんやっていうことはなんとなく理解しつつある。
前に付き合ってた彼氏に言われた。
「じゃあ祐以のこと好きな俺はどうなるの?」
当時はその意味がほんまに分かってなかった。
自分自身にその価値を見出せないでいるというのはつまり、そんな自分に価値を見出してくれてる人をないがしろにするっていうこと。
その人の価値をないものにしてるのと同じこと。
あたしは、これまでかかわってきた人たちにとても失礼なことをしてきたんやなって思った。
自分が嫌いなあたしは、同時に人のことも嫌いだった。
少なくともそう思ってた。
今だって、そう思うときはある。
人と関わるのが面倒だと思ったり、避けたくなるときだってある。
でも、そういうときの自分は、とてもモードが低い。
超低レベルな存在に成り下がってる。
つまり、それは本当じゃないのを感じる。
低いモードに浸っているのをやめて、意図的にモードを上げれば、
人が嫌いなんて幻想だということに気付く。
つまり、今意図的にモードをあげてる状態なんだよね。
すると、感謝とかそういう感情があふれてくる。
ああ、あたしほんまはみんなのこと大好きなんやなぁって、涙が出てくる。
大好きやで。
今までいっぱいいっぱい傷つけてごめんね。
めっちゃ好きやのに嫌いなふりしてごめん。
冷たくしてごめん。
話しかけてくれてありがとう。
繋がってくれてありがとう。
出会ってくれてありがとう。
一緒にいてくれてありがとう。
そこにいてくれてありがとう。
生まれてきてくれてありがとう。
ありがとう。
ほんまに、めっちゃ好きやで。