「今までに、こんな本を読んできた ⑯」
最初の頃はこれをシリーズにしてました。
“本”のところを、“音楽”、“映画”に変えたり。
突然ですが、yuchanは何故ブログを始めたのか?
30~40代の頃はブログを読んだことはほとんどなかった。50代になって今までに読んだ本、見た映画、聴いた音楽のことを書いてみたくなって、ブログというものを書いてみようかな?と思い、始めることにした───
立花隆の「ぼくはこんな本を読んできた」のタイトルをお借りしました
今回は初心に戻って、yuchanがプロフィールに書いている、「若い頃(20~30歳)に読んだ本のことを書いていきたいと思います」です
その前に…
早くも脱線
この間、カイエの表紙裏に、昔、抜き書きしていた村上春樹の文章を見つけた(水色のところ)
どんな魚を釣っているのかはわからないが、釣り竿を我慢強くいつまでも海に向けている老人。彼の目は海を飽きることなく見つめることに慣れている。歳月をかければ、人はそういう海色に染まった孤独な眼球を獲得することができる。
「ラオスにいったい何があるというんですか?」
紀行文集
村上春樹
文藝春秋
(P.94から引用)
過去ログから
「今までに、こんな本を読んできた ②」
映画監督のクシシュトフ・キェシロフスキが書いた本からの抜き書き
力強い、キェシロフスキの言葉
読んでください~
20~30代の頃はよく武田百合子の本を読んだ
いちばん好きなのは「犬が星見た ロシア旅行」、「富士日記」かな~🙄
今回は、「犬が星見た ロシア旅行」を。
旅行会社企画の団体旅行
参加者は関西組と関東組からの構成
関西組の銭形という老人がいい味だしている
武田泰淳と武田百合子は夫婦で参加
中国文学者の竹内好も同行している
(武田泰淳と仲良し🤗)
「犬が星見た ロシア旅行」
武田百合子
中公文庫
夜、十二時を過ぎても、窓外のポプラの向うに見える小さな映画館チャイカ(かもめ館)の表には灯がついていた。こもったような大きな音で表に流れてくる音楽。妙な節───どこかで聞いたような。耳を澄ますと「会津磐梯山」であった。終ると「荒城の月」をやり「サクラ、サクラ」もやった。それは休憩時間の音楽らしかった。映画がはじまると、トーキーの音が洩れ流れてきた。虎かライオンのガオーッという吠え声が響き、キェーッと逃げまどう人間の声が混じる。ジャングル映画らしかった。
やがてはねると、澄んだ子供の声、低い大人の声、口笛、靴音が溢れ、一刻して絶えた。
夏休みの海岸で見た、野外活動写真大会を私は思い出している。七つ、八つのころだった。弁士の声は波が砕けるたびに消え、銀幕代用の白い大きな布が夜風にふくらむと、そこに映し出されていた家や道や人の姿は突然ひしゃげた。あれは「只野凡児」という無声映画だった。かもめ館の見える窓きわの机で日記をつけながら、いま、そんなことを思い出している。
(P.188~189より引用)
力学変化より化学変化が好きだ。体温が同じのとき───そのときの微妙な変化がいいと思う。体温といっても、体温計で計った三十五度とか三十六度とかいうあの熱ではなくて、体熱というか、内臓や粘膜の持っている熱。体という字でなく軀という字の熱。
(P.300より引用)
アルトマン(左)は何作か見ました。中央のイタリア映画はモノクロで内容は忘れたけど、チラシ(半券と同じ)が気に入ってトイレの壁に貼ってました🤣
右の作品は内容を忘れました
「犬が星見た ロシア旅行」に挟まっていた映画の半券は、
「水の話」
監督は、ゴダールとトリュフォー。
共同監督。
トリュフォーが脚本。ゴダールが編集。
15分くらいの短い作品。
その他、フランス、ハンガリー、ギリシア、チェコ、イギリスの監督作品から成る短編のオムニバス映画
今回、「犬が星見た ロシア旅行」をところどころ読み返してあらためて抜き書きしたいところがたくさんあった
あとがきは2ページだけど、全部書き写したくなるような文章。
糸が切れて漂うごとく遊び戯れながら旅をした。
(P.332 あとがき より引用)
ちょっと脱線
この文章↑を読んで頭に浮かんだ、旅路の表現
昔見た映画。「霧の中の風景」(1988)
テオ・アンゲロプロス監督作品
字幕は、池澤夏樹
読んでください~
木の葉のように旅をしています。
世界は不思議…
(。・∀・。)ノ🌜🌚🌝🌞
「犬が星見た ロシア旅行」には、毎日の献立も書かれています~🍴
MATANE~🌹🌹🌹