「🎵女の子の遊びなんか嫌いよ

泥だらけで走りまわる

私のことじゃじゃ馬娘と呼んで

相手にしてくれないならいいの🎶」


大貫妙子さんのアルバム『Mignonne』から「じゃじゃ馬娘」。


1978年の作品だけど、ぜんぜん古くならない。もういちど、聴きたいな~😭。


日本とフランスのじゃじゃ馬娘っていって、すぐ思い浮かんだのが、こちらの小説の主人公👧




『地下鉄のザジ』の「ザジ」と『悦ちゃん』の「悦ちゃん」


♣『地下鉄のザジ』

レーモン・クノー

生田耕作訳 中公文庫


♠『悦ちゃん』

獅子文六 角川文庫

(現在は、ちくま文庫)


久しぶりに見たけど、訳は生田耕作なんですね。私が若い頃(遠い目😒)、ブルトン、バタイユ等のシュルレアリスム、マンディアルグ、セリーヌ…といえば、“生田耕作”ってかんじだった。


私は『悦ちゃん』を、’94の7月に読んでいる。当時、獅子文六の本が絶版になっていて、古本屋や古書市で探してました。獅子文六は一時期、集中的に読んでいた。

獅子文六の小説は、ここ2~3年前から、どんどん復刊してます。


悦ちゃんは、どんな女の子?


『やがて、彼女は唄をうたいだした。

─中略─

なかなか、いい声だ。だが、蓄音機やラジオの童謡のように、無邪気で、甘ッたるくない。デイトリッヒが子供の時には、こんな声を出したと思われるような声だ。』p.4


マレーネ・ディートリッヒ😲‼️渋いですね。

『悦ちゃん』は新聞小説。NHKでドラマ化されている。悦ちゃんのパパはシングルファザーで周りから再婚をすすめられている。天真爛漫の悦ちゃんや周りの人たちと巻き起こす物語。

獅子文六の小説は、コミカルでエスプリをかんじさせます。ほかの日本の小説とは、ちょっと違ってて、明るく、乾いて、ウィットがあるのです。




『地下鉄のザジ』のザジは、田舎からパリに来て、地下鉄に乗ることを楽しみにしてたのに、地下鉄ストで念願叶わず…奇妙な人につきまとわれたりしながら、なんともおかしな人生経験をする…







大貫妙子さんの歌にも『地下鉄のザジ』があります🎵とってもかわいい歌です~🎶


両作品とも、会話のテンポがよくて、それぞれの主人公の女の子たちが動き廻るバタバタ劇☆


ラストの台詞

♠『悦ちゃん』(悦ちゃんはパパと新しいママと一緒に博多で暮らすことになります)


「悦つァんトコのお母さんは、まだ若か」

「そうよ。とても若いわよ」

「すると、継母とちがうンか」

「そうよ、ママハハよ」

「ほう。悦つァん、可哀そうじゃな」

「バカねえ、あんた達!」

と、悦ちゃんは、笑い崩れた。

「ママハハというのは、ママとハハが一緒になったンだから、一番いいお母さんなのよ。みんな田舎ッ平だなア、なんにも知らないや!」


─おわり─



♣『地下鉄のザジ』のラストの会話


「まあこの娘(こ)ったら夢現(ゆめうつつ)ね!」

「お遊びが過ぎたのさ。大目に見てやらなくちゃ。それに俺も、これで失礼するよ」

「そう、でもガブリエルは?」

「冴えないね。じゃ退散するよ。またね、お嬢ちゃん」

「さよなら、小父さん」ザジはうわの空で言う。

ジャンヌ・ラロシェールは彼女を車室に引き入れた。

「で、楽しかった?」

「まあまあね」

「地下鉄は見たの?」

「うぅうん」

「じゃ、何をしたの?」

「年を取ったわ」


─FIN─