こんにちは、ゆっこです。
仕事を辞める前の話ですが、
私にとっては、人生がひっくり返るような発見をした話です。
遡ること、退職直前。
前職は、結婚を機に前職を辞めましたが、
実は当時、心身ともに限界に近づいていました。
チーム全体でスランプに入り、個人としても3ヶ月連続で未達。
マネージャーからの風当たりがとても強くなっていました。
「ゆっこはもっと自分に向き合って欠点を直して、
もっと真剣に成長しないと先がない。もう30代半ばでしょ?」
と毎日詰められ、落ち込んでまたミスを重ねて怒られたり・・・。
毎日泣きそうで、胃が痛くて、婚約者のハムさんも「辛そう・・・」と心配気味。
それでも求職者のことを考えればやりがいがあるし、3年は続けたい、
という思いで歯を食いしばっていました。
そんな折、ハムさんから、
「毎日22時まで働いている時点で、十分頑張ってる。
ゆっこが頑張っていないことはない」
と言われて、衝撃を受けました。
以前からワーカホリック気味で、友人たちからは「休め」「働きすぎ」と言われていましたが、
自分がやりたくてやっているのだから、周りに止められる筋合いはない、
と突っぱねてきていました。
しかしこの時は、自分が頑張っていると思えていなかったので、目から鱗が落ちました。
まだ頑張れねば、もっと頑張らねばと疲弊していた時に
すでに頑張っていると、信頼しているハムさんから言われたからこそ、言葉が刺さったのかもしれません。
十分頑張ったのであれば、今の心身のパワーは家庭に使いたいと思い退職を決意。
同時に、「頑張るとは何か?」という問いが残りました。
その後、1人になって人生を振り返ったりして、答えが見えてきました。
それは・・・
頑張ることは、前に進むために努力すること。
ただ歯をくいしばり耐えることではない。
似たような大変な状況でも、前に進めている感覚があるならば、
それは”頑張っている”のだと思います。
その時には、おそらく、本人も前向きな気持ちがどこかにあるはずです。
しかし、前に進まず、もしくはどこに向かっているかもわからず、
ただ「耐えている」だけで、自分自身が消耗するだけなら、
それは単に「磨り減っている」だけです。
思い返すと、大学院の時は、研究者になりたいという目標があったので、
遅くまで研究室にこもろうが、徹夜しようが苦ではありませんでした。
でも社会に出てからは、長時間労働は辛いし、気は使うし萎縮することも多かったです。
単に学生と社会人の違いだと思っていましたが、
社会人生活では、磨り減っていただけかもしれません。
改めて自分が目指したいところを考え、
そこまでの道筋を考えた時に、転職の戦略が見え、前に進んでいる感覚を持てました。
おそらく同じ決断をしたとしても、目標が見えているかどうかで、
入社後、頑張るかすり減るかが変わります。
今「辛い」とだけ感じている読者の方も、もしかしたら磨り減っているだけかもしれません。
前を向いて進むために、目標ややりたいことを振り返る機会を作ると、
何かが見えるかもしれませんね。