別名 | - |
所在地 | 福井県福井市城戸ノ内町 |
城地種類 | 山城(麓に居館) |
築城年代 | 15世紀後半 |
築城者 | 朝倉孝景 |
主要城主 | 朝倉氏 |
文化財史跡区分 | 国指定史跡、国指定特別名勝 |
天守の現況・形態 | - |
一乗谷城は、戦国大名朝倉氏の館だけでなく城下町と4つの山城を含む縄張を指す。
その歴史は文明3年(1471)、朝倉孝景が越前守護斯波氏を破って一乗谷川沿いの天然の要害を拠点としたことに始まる。
そして一乗谷には2つの城戸(門)にはさまれた約1.7キロメートルの細長い城下町が、全国に先駆けて形成された。
一乗谷は、応仁の乱を逃れてきた京都の文化人たちなどにより越前の中心地として栄えたが、天正元年(1573)、織田信長の軍勢により放たれた火によって灰燼に帰した。
しかし現在、武家屋敷や町並みが復原され、当時の様子を偲ぶことができる。
○本丸跡(千畳敷)
・ 観音屋敷跡
・ 宿直(物見台)跡
・ 不動清水
○小見放城跡
○一乗谷川
○御屋形橋
○朝倉義景館跡
・ 唐門
・ 湯殿跡庭園(特別名勝)
○復原町並
・ 中級武家屋敷
・ 町家
○大規模武家屋敷群跡
・ 上級武家屋敷跡
・ 平面復原地区
・ チケット
・ 100名城スタンプ
・ パンフレット
○まとめ
一乗谷城跡に行く登山ルートは4つ。
①下城戸(安波賀)ルート 登山片道60~75分 比較的なだらかなコースが続く
②馬出ルート 登山片道40~60分 途中で小見放城跡が見られる登山道
③英林塚ルート 登山片道50~60分 遺跡の中心に最も近い登山道
④三万谷ルート 遺跡中心部より車で15分(駐車場あり)、登山片道30~45分
今回は②馬出ルートで登りました。
険しい山道が続きます。
本丸跡(千畳敷)
主郭群の中では最も新しく、義景の代に山腹を削平して造営された。
北側には竪堀群が存在している。
枡形虎口を設けた観音屋敷跡や福井平野を一望できる宿直(物見台)跡、赤淵明神跡や月見櫓跡などがあり、堀切、土塁で区切られている。
西側には飲料水として利用された不動清水という湧水地がある。
ここは文化的施設として使用されていたとも考えられている。
観音屋敷からの通路には石垣土塁の虎口があり、宿直跡には少数だが建物の礎石が露出している。
ここからは三国湊や福井平野までよく見渡せることなどから、戦国時代には見張りが居たところとして考えられている。
宿直跡から見る景色。
千畳敷跡の約30メートル下方にある水場で、不動明王を表した石仏の根元から水が沸き出ている。
不動明王の石仏には、福井市街に位置する足羽山から採掘された笏谷石がつかわれている。
山城で唯一の水源となっており、この清水を荒らすと荒天となるといわれている。
小見放城跡
尾根を分断して大きな堀切が掘られ、そこから尾根先端にかけて曲輪群が段状に築かれている。
曲輪上の土塁や礎石のほかに、主郭周りに腰曲輪や竪堀などの遺構も確認される。
一乗谷川
発掘調査により、川に並行する護岸石積みのほか、船着き場や荷揚げ場の機能を果たしたとされる流通拠点「一乗の入江」とみられる遺構が見つかっている。
御屋形橋
朝倉義景館跡
内部には10数棟の建物群がみられ、これらは大きく2つに分けられる。
1つは主殿を中心として南半に位置するもので、接客の機能を持ち、会所や数寄屋・庭園等もみられる。
もう1つは常御殿を中心にこの北側に位置するもので、主人の日常生活の場となり、台所や持仏堂・湯殿等もみられる。
この他、厩等も存在した。
建物はすべて礎石の上に角柱を建て、舞良戸・明障子といった引戸を多用し、畳を敷きつめた部屋も多かった。
また屋根は杮板等で葺いていたと考えられる。
義景館跡を見下ろす高台にある。
どの石も強い表情を持ち迫力がある。
鶴や亀を思わせる島があり、水路が山際に沿って南から北に走り滝口に注ぐ池泉庭園になっている。
他の庭園とは様式も感覚も異なり、一乗谷で最も古い庭園とされている。
石段の先にある「湯殿跡庭園」。
復原町並
町屋は通常、武家屋敷エリアと分けられるのが普通だが、ここでは商人の住む町屋も同じエリアにつくられている。
それだけ経済が発達していたということを意味している。
屋敷内の南半に6間×4間の主殿を配し、これに接して東南隅に座敷と庭を設けている。
北半には蔵や使用人が居住したと考えられる納屋や井戸が配されている。
これらの建物は、発掘調査の結果に基き、絵画等の資料を参考にして推定復原を行った。
屋根は割板で葺かれ、室内には畳も敷きつめられ、舞良戸・明障子等の引戸が多く用いられている。
木材の加工には、かんな・やりかんな・ちょうな等当時の道具を用いている。
全体にかなり進んだ建築様式の住宅であったことが知られ、一乗谷の文化水準の高さが伺われる。
一乗谷はソフトバンクのCMで一躍有名になりました。
【住所】 福井県福井市城戸ノ内町28-37
【電話番号】 0776-41-2330
【開場時間】 9:00~17:00(入場は16:30まで)
【入場料】 210円
【休場日】 年末年始(12月28日~1月4日)
※ 2015年10月21日時点の情報です
大規模武家屋敷群跡
屋敷は、戦国時代の城下町を象徴するように鍵型に折れ曲がり部を持つ南北方向の道路の両側にあるが、西の山裾側の屋敷の方が、東の川側の屋敷に比べて数倍大きくなっている。
これらの屋敷の敷地間口は、約30センチ(100尺)を基本単位として計画されていたと考えられる。
各屋敷は、幅1.2~1.8メートルの石垣を持つ小土塁で区画されている。
これは基本的に土塀の基礎部と考えられる。
またこの道路に面した小土塁に門(間口3メートル)を設けている。
この門は、西の山裾の屋敷では、礎石4個を用いた四本柱の薬医門形式を用い、東の川側の屋敷では掘立柱2本からなる棟門形式を用いており、格式の差がみられる。
屋敷の中の建物は、基本的には正面南寄りに接客や主人の住まいとなると考えられる比較的整った規模の大きな建物跡が、奥の山裾近くでは、蔵や台所、家人の住まいなどがあった。
屋敷内は土塀で二つに分けられている。
北には東西約12メートル、南北約13メートルと大規模な建物が存在し、これが主殿と推定される。
またこの脇には小さな庭園もみられる。
南には井戸や台所等があった。
この屋敷が他の屋敷と異なる点は、東の一乗谷川に沿って存在したもう一本の南北方向道路からこの屋敷のために東西方向の道路を引き込み、南北方向の道路には直接面していないことと、門を2つ設けること。
道路沿いには、大甕を並べた紺屋をはじめ、数珠屋、鋳物師、檜物師、刀研ぎ師など職人の家や坪庭のある医者の家が建ち並び、町屋を形成していた。
麓、凄くカメムシ多いです!!
でも、復原された町並はタイムスリップしたかのよう。
これから先どんどん復原されていくのでしょうか?
かつての都の面影が所々に残る素敵な場所でした。
福井県に入ると「ソースカツ丼」の看板をよく目にしましたが、北陸のB級グルメなんですね。
ちなみに「ソースカツ丼」は食べていません。
復原町並のレストランで、「ざるそば」「かけうどん」を頂きました。