日本100名城 30.高遠城 再訪【前編】はコチラ
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9時になったので、再び「法幢院曲輪」の方へ。
南ゲートには長い列が出来ていました。
マンホールも桜
前回行けなかった「高遠町歴史博物館」へ行きたいと思います。
道中の歩道橋の桜も満開
沢山の人が足を止めて写真を撮っていました
○高遠町歴史博物館
・ 絵島囲み屋敷
・ 門
・ 玄関・番人詰所・台所
・ 下女詰所
・ 忍返打違
・ 絵島の間
・ 湯浴みの間
・ 厠
・ 庭
・ 土間
・ パンフレット
高遠町歴史博物館
見どころとして敷地内にある徳川6代将軍家宣の側室に仕えた大奥女中頭の「絵島」が、絵島生島事件で高遠に流され亡くなるまでの27年間を過ごしたことで知られる「絵島囲み屋敷(復元)」がある。
館内の撮影は出来ません。
当初は、三の丸長屋に設けられた牢で3ヶ月間を過ごし、城内から4キロの場所にある非持村の囲み屋敷に移る。
そして享保4年(1719)からは、現在の場所の囲み屋敷で生活した。
【絵島(1681-1741)】
天和元年(1681)に生まれた絵島は、旗本・白井平右衛門の養女となり、甲府徳川家に仕えた。
やがて藩主綱豊が6代将軍家宣となると、それに従って大奥入りし、家宣の側室・お喜世の方の右腕となる。
そしてお喜世の方が鍋松を生み、正徳2年(1712)に将軍家宣が死去したため、翌年鍋松が7代将軍家継となると、お喜世の方(落飾して月光院)は将軍生母として君臨、絵島も大奥御年寄として権勢を振るうことになる。
【絵島生島事件】
江戸時代中期に江戸城大奥御年寄の絵島が歌舞伎役者の生島新五郎らを相手に遊興に及んだことが引き金となり、関係者1,400名が処罰された綱紀粛正事件。
絵島は、江戸時代から今日にいたるまで「絵島生島」と呼ばれて芝居や映画で演じられてきたが、実際にはこの恋は存在しなかったと考えられる。
高遠藩は幕府に対して再三絵島の赦免要請をしたが、最後まで「上告棄却」で望みは断たれ、絵島は幽閉地の高遠で没した。
絵島はここで20数年間、朝夕一汁一菜の食事で魚類はほとんど取らず、着る物は木綿のみという中で、主に読経して過ごした。
口頭による指示、伺書に対する回答などにより、高遠藩での取扱いが定められた。
【住所】 長野県伊那市高遠町東高遠457
【電話】 0265-94-4444
【開館時間】 9:00~17:00(最終入館時間16:30)
【入館料】 一般400円、団体(20名以上)300円、18歳未満(高校生以下) 無料
【休館日】 月曜日、祝日の翌日、12月28日~1月3日、展示替え日・施設整備・資料整理などによる臨時休館
※ 2022年4月10日時点の情報です
朝とは打って変わり気温もぐんぐん上昇。
桜を背景にさくらソフトクリーム
「法幢院曲輪」の満開の桜が圧巻!!
再び「本丸跡」へ。
太鼓櫓
本丸跡から見る中央アルプス
桜雲橋は混雑中
「二の丸跡」は飲食エリアになっていて沢山の屋台が出ていました。
前回来た時と同じところに居るとは思えない賑わいぶりです。
高遠城の桜を一望できるスポットに移動
幾度となく見てきたこの風景は「白山観音」から見ることが出来ます。
分かりにくい場所にあるので少々不安になりましたが...
この景色です♡
拡大して
限界
一面桜景色
頑張って来た甲斐がありました。
高遠城の桜は、今まで見てきた桜の中で一番なのは間違いありません
【住所】 長野県伊那市高遠町勝間60
日本100名城 30.高遠城 再訪【御城印】へ続く