岡崎城 -長らく聖地となった徳川家康誕生の城-

 

 

別名 竜城
所在地 愛知県岡崎市康生町561 岡崎公園内
城地種類 平山城
築城年代 康生元年(1455)ごろ、天正18年(1590) 
築城者 西郷頼嗣(稠頼)、田中吉政
主要城主 西郷氏、松平氏、田中氏、本多氏、水野氏、松平(松井)氏  
文化財史跡区分 市指定史跡、県指定文化財1件  
天守の現況・形態  層塔型 三層五階 鉄筋コンクリート造(復興)

 

岡崎城は、康正元年(1455)ころ土豪の西郷頼嗣が創築し、家康の祖父・松平清康が享禄4年(1531)に改築を行う。

その城で天文11年(1542)、松平竹千代(徳川家康)が生まれた。

幼くして今川氏の人質となった家康だが、桶狭間の戦い後は岡崎城に戻り、ここを拠点に三河を統一した。

家康が浜松城に本拠を移すと子の信康が入り、信康の自刃後は城代が置かれた。

家康が豊臣秀吉によって関東に移されると、田中吉政が入り総構の堀を築いた。

関ヶ原の戦いの後は徳川氏の聖地として重視され、譜代大名・親藩が城主となった。

元和3年(1617)には三重三階、付櫓と井戸櫓を付属した天守が築かれた。

明治初期に天守は取り壊されたが、昭和34年(1959)に再建された。

 

 

 

 目次

 

  二の丸跡

 大手門

 花時計

 徳川家康公銅像

 しかみ像

 二の丸井戸跡

 

 

  本丸跡

 天守

 家康公遺言

 清海堀

 

 

  坂谷曲輪

 産湯の井戸

 

 

 100名城スタンプ

 

 入場券

 

 パンフレット

 

 まとめ

 

 

 

二の丸跡

本丸と持仏堂曲輪の北側に位置し、家康公が生まれた場所として「御誕生曲輪」とも呼ばれる。

江戸時代には御殿が敷地一杯に建っており、城主の居住や政治の場としての機能のほか、将軍(家康、秀忠、家光)が上洛のときには宿泊所として利用された。

 

大手門
大手門は、岡崎公園の表玄関にふさわしい建物として、1993年に再建した。(高さ11メートル、幅16.4メートル、奥行6.3メートル) 

石垣には地元産の御影石を使用し、入母屋造りの屋根には江戸物本瓦が葺かれている。

本来の岡崎城大手門は、現在の浄瑠璃寺の南(北東約200メートル)にあった。

江戸時代の記録によれば大手門は「桁行十間、梁行二間四尺」。


 

 

花時計
中央文字盤の花壇には四季を通じ、草花の植替えを1年に4回行う。

この時計は1/10馬力の直流モーターで動いている。


 

 

徳川家康公銅像
1965年、家康公350年祭を記念して建てられた。





【徳川家康(1542-1616)

江戸幕府初代将軍。

在職1603~1605。

松平広忠の長男。

織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。

豊臣氏五大老の筆頭となり、秀吉の死後石田三成を関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。

秀忠に将軍職を譲ったのち駿府 に隠退したが、大坂の陣で豊臣氏を滅ぼし、武家諸法度などを定めて、幕政の基礎を築いた。

 

 

しかみ像
世に云うしかみ像「徳川家康三方ヶ原戦役画像」は、浜松の三方ヶ原で武田の大軍に無理な戦いをいどみ、負け戦となって多くの家臣を失った家康公が、自戒の念を忘れることのないように描かせたものと伝えられている。

顔をしかめて苦渋の表情をあらわした珍しい肖像画。

「しかみ像」は、やがて戦乱の世を統一し、世界に冠たる平和国家を作り上げる礎になったと云われている。

このしかみ像は、かの画像を基にして製作された石像である。


 

 

二の丸井戸跡
江戸時代の石組井戸で、2007年の発掘調査で発見された。

岡崎城二の丸御殿(現在の家康館からこの井戸付近までの位置に建っていた)に伴うものと推定される。

二の丸御殿の絵図には、建物の北東側に二基の井戸が表示されており、そのどちらかと考えられる。


 

 

 

本丸跡

岡崎城の中心部で、松平清康(家康の祖父)が城主の時に八幡社が建てられていたことから「八幡曲輪」とも呼ばれる。

城から北東方向の甲山から延びる丘陵の先端に位置し、西は矢作川、南は菅生川(現在の乙川)に囲まれた天然の要塞となっている。

江戸時代は天守のほか、月見櫓や辰巳櫓など多くの建物が建っていた。

 

天守
家康公時代の岡崎城には天守はなく、家康公の関東移封後に城主となった田中吉政によって最初の天守は築かれた。(詳細は不明)。

その後、元和3年(1617)に本多康紀が城郭を大改修して3重4階(地上3階、地下1階)の複合式望楼型天守を築いたが、この天守は明治6年(1873)の廃城令によって廃城となり、明治7年(1874)に解体された。

昭和34年(1959)には天守が3層5階建てに復興され、平成18年(2006)には日本100名城に選定された。

城内は各階ごとにテーマを分けた歴史資料館になっており、展示物やジオラマシアターなどで岡崎城の歴史を紹介している。






最上階からの景色

 

 

家康公遺言
江戸幕府を開き、豊臣に変わる徳川政権を樹立した家康公が、自分の跡継ぎに遺した言葉。

将軍の政道が理に適わず民が苦労しているようならば、政権は他に移るべきである。

政権が他家に移っても民が幸せならば、本意であり恨みに思うことはないといった意味の言葉が刻まれている。

 

 

清海堀
持仏堂曲輪入口から、廊下橋の跡を見て進むと、天守北側に湾曲した深く立派な堀がある。

この堀の外側の空堀も合わせて「清海堀」 と呼ぶ。

岡崎城を築いた清海入道こと西郷頼嗣の名に由来する古い堀。






 

 

 

坂谷曲輪

二の丸・本丸西、伊賀川沿いの細長い帯曲輪。

江戸時代には坂谷曲輪はその北にある北曲輪に通じていた。

北曲輪は二の丸を北側の敵から守っていたが、現在は北曲輪は消滅して、オフィス街と住宅街に変わっている。

 

産湯の井戸
天文11年(1542)12月26日家康公が岡崎城内で誕生した。

この井戸の水を汲み、産湯に使用した。


 

 

 

100名城スタンプ
設置場所 天守1階

 

 

 

 

入場券
岡崎城

 

 




 

 


 

三河武士のやかた家康館
 

 

 




 

 

 
 
パンフレット
神君出生の城 岡崎城・三河武士のやかた 家康館

 



 

 


 

 


 


 

 

 

 

【名称】 岡崎城
【住所】 愛知県岡崎市康生町561-1
【電話】 0564-22-2122
【開館時間】 9:00~17:00(入館は16:30まで)
【入館料】 大人(中学生以上)200円、小人(5歳以上)100円
【休館日】 12月29日~12月31日

※ 2015年1月28日時点の情報です

 

 

 

【名称】 三河武士のやかた家康館
【住所】 愛知県岡崎市康生町561-1
【電話】 0564-24-2204
【開館時間】 9:00~17:00(入館は16:30まで)
【入館料】 大人(中学生以上)360円、小人(5歳以上)200円
【休館日】 12月29日~12月31日

※ 2015年1月28日時点の情報です

 

 

 

2館共通
【入館料】 大人(中学生以上)510円、小人(5歳以上)270円

※ 2015年1月28日時点の情報です

 

 

 

徳川家康が生まれた城。

綺麗に堀が残っているのに目を惹かれましたが、普段は立ち入れないので不定期で開催されている「海青堀」の散策イベントに参加してみたい。

城内の敷地内にある「三河武士のやかた家康館」では家康の出生から天下統一までを辿る歴史を、パネルや展示物で分かりやすく説明していました。

お昼は敷地内の「桜茶屋」で名物 八丁味噌を使った「八丁味噌煮込みうどん」や「どて飯」を頂きました。