彦根城 -琵琶湖に臨む井伊家14代の堅城-
別名 | 金亀城(こきんじょう) |
所在地 | 滋賀県彦根市金亀町1-1 |
城地種類 | 平山城 |
築城年代 | 慶長9年(1604) |
築城者 | 井伊直継・直孝 |
主要城主 | 井伊氏 |
文化財史跡区分 | 国指定特別史跡、国指定名勝、国宝1件(天守)、重要文化財5件 |
天守の現況・形態 | 望楼型 三重三階 木造(現存) |
彦根城は、徳川四天王の一人、井伊直政が琵琶湖湖畔の磯山の地に城を築こうとしたことに始まる。
直政が死んだため築城は計画のみに終わったが、その遺志を継いで子の直継は彦根山(金亀山)を城地と定めて、慶長12年(1607)に天守など主要部を完成させた。
築城は徳川家康の支援を受けて天下普請で行われ、また佐和山城や大津城など周辺の廃城から用材や石材などを調達、急ピッチで進められた。
しかし城下町まで含む城の完成には20年あまりの月日を要した。
三重三階、華麗な装飾を施された天守は明治維新の廃城令も戦火もまぬがれ、旧国宝保存法による城郭国宝の第1号に指定された。
目次
100名城スタンプ
パンフレット
天秤櫓(重要文化財)
佐和山城
太鼓門櫓及び続櫓(重要文化財)
天守(国宝)
鉄砲狭間
まとめ
100名城スタンプ
パンフレット
天秤櫓(重要文化財)
表門から坂道を登りつめたところにある。
廊下橋(非常時には落し橋)の中央に、天秤のように左右対称の建物。
長浜城大手門を移築したものと伝えている。
石垣は右側が築城当時の牛蒡積み、左側が江戸後期の改修による落し積みとなっている。
廊下橋(非常時には落し橋)の中央に、天秤のように左右対称の建物。
長浜城大手門を移築したものと伝えている。
石垣は右側が築城当時の牛蒡積み、左側が江戸後期の改修による落し積みとなっている。
佐和山城
鎌倉時代初期、近江源氏・佐々木定綱の六男時綱が佐和山の麓に館を構えたのが始まりと伝えられている。
その後、佐々木氏は湖南の六角氏と湖北の京極氏に分かれて対立。
佐和山城は両勢力の境い目の城として攻防が繰り返された。
戦国時代に入ると、湖北では京極氏に代わって浅井氏が覇権を確立し、湖南の六角氏との間で佐和山城争奪戦が展開されることになる。
信長・秀吉の時代にも、佐和山城は近江の要衝を守る城として重視された。
信長は佐和山城に重臣の丹羽長秀を配し、信長自身も佐和山城を近江制圧の拠点として利用した。
秀吉の代も、堀秀政、堀尾吉晴そして五奉行筆頭の石田三成の入城と、佐和山城に重きを置く姿勢は変わらなかった。
佐和山城はしだいに整備され、天正18年(1590)、石田三成が佐和山城主となってからは、五層の天守を構え、鳥居本を大手とする城だった。
また、三成の時代には山上に本丸以下、二の丸・三の丸・太鼓丸・法華丸などが連なり、山下は東山道に面して大手門が開き、二重に巡らされた堀の内には侍屋敷・足軽屋敷・町屋などの城下町がすでに形成されていた。
その後、関ヶ原の戦いで敗れ、彦根城築城にともない廃城となる。
その際、石垣や建物の多くが彦根城へと運ばれた。
「天秤櫓」からの眺め
その後、佐々木氏は湖南の六角氏と湖北の京極氏に分かれて対立。
佐和山城は両勢力の境い目の城として攻防が繰り返された。
戦国時代に入ると、湖北では京極氏に代わって浅井氏が覇権を確立し、湖南の六角氏との間で佐和山城争奪戦が展開されることになる。
信長・秀吉の時代にも、佐和山城は近江の要衝を守る城として重視された。
信長は佐和山城に重臣の丹羽長秀を配し、信長自身も佐和山城を近江制圧の拠点として利用した。
秀吉の代も、堀秀政、堀尾吉晴そして五奉行筆頭の石田三成の入城と、佐和山城に重きを置く姿勢は変わらなかった。
佐和山城はしだいに整備され、天正18年(1590)、石田三成が佐和山城主となってからは、五層の天守を構え、鳥居本を大手とする城だった。
また、三成の時代には山上に本丸以下、二の丸・三の丸・太鼓丸・法華丸などが連なり、山下は東山道に面して大手門が開き、二重に巡らされた堀の内には侍屋敷・足軽屋敷・町屋などの城下町がすでに形成されていた。
その後、関ヶ原の戦いで敗れ、彦根城築城にともない廃城となる。
その際、石垣や建物の多くが彦根城へと運ばれた。
「天秤櫓」からの眺め
「天秤櫓」を抜けると「太鼓丸」へ。
前方に見える石垣は「本丸石。
太鼓門櫓及び続櫓(重要文化財)
天守(国宝)
いくつもの破風を巧みに組合せ、美しい曲線の調和をみせる天守。
どっしりとした牛蒡積みの石垣の上に、三重の天守がそびえる。
京極高次が築いた大津城から移築されたといわれ、慶長12年(1607)頃に完成した。
当時は18万石の時代で、規模はあまり大きくないが(高さ21メートル)、外観の美しさだけでなく、城本来の機能にも優れている。
昭和27年(1952)に国宝に指定。
現存する国宝の天守は、彦根城以外には姫路・松本・犬山城だけ。
61度の急斜面な階段。
どっしりとした牛蒡積みの石垣の上に、三重の天守がそびえる。
京極高次が築いた大津城から移築されたといわれ、慶長12年(1607)頃に完成した。
当時は18万石の時代で、規模はあまり大きくないが(高さ21メートル)、外観の美しさだけでなく、城本来の機能にも優れている。
昭和27年(1952)に国宝に指定。
現存する国宝の天守は、彦根城以外には姫路・松本・犬山城だけ。
天守横の「付櫓」から入城する。
61度の急斜面な階段。
最上階から眺める景色。
鉄砲狭間
【名称】 彦根城(彦根城博物館、玄宮園を含む)
【住所】 滋賀県彦根市小金町1-1
【電話】 0749-22-2742
【開場時間】 8:30~17:00(最終入場は16:30まで)
【観覧料】 一般 1,200円、小・中学生 350円
【休館日】 年中無休(彦根城、玄宮園)、12月25日~31日(彦根城博物館)
※ 2014年9月26日時点の情報です
【住所】 滋賀県彦根市小金町1-1
【電話】 0749-22-2742
【開場時間】 8:30~17:00(最終入場は16:30まで)
【観覧料】 一般 1,200円、小・中学生 350円
【休館日】 年中無休(彦根城、玄宮園)、12月25日~31日(彦根城博物館)
※ 2014年9月26日時点の情報です
「本丸」にはひこにゃんパネルがあり、天守と一緒に撮影できます。
パネルもいいけど、やっぱり本物に会いたいですよね!
「初めまして」でしたが、思っていたよりも ゆるっと。
可愛すぎだろ♡
街のあらゆる所に「ひこにゃん」が居ます。
どら焼き食べられないのに買ってしまった...
お昼は「夢京橋キャッスルロード」にある「比内地鶏ほっこりや」さんへ。
趣のあるお店です。
名物の親子丼いただきます!
滋賀県「100名城スタンプ」コンプリート☆☆☆☆
滋賀県はその他城跡、山城となかなか手強かったです。
こんなに身近で沢山歴史を知れる場所があることが分かり、俄然、滋賀県に興味が湧いています。
滋賀県はその他城跡、山城となかなか手強かったです。
こんなに身近で沢山歴史を知れる場所があることが分かり、俄然、滋賀県に興味が湧いています。