今年3月、突然胸水が溜まり入院し医師に癌だと告げられた。


この半年近く、がんになったこと、余命を告げられたことを考えない日は1日もなかった。



私は今50代前半。


ちょっと計画?よりはお迎えが来るのは早い気がした。私にも老後があると思っていた。



入院してすぐ、痛みで眠れなかったのに、やっと眠れると二晚続けて突然体がドンとなった。怖かった。


この何年も夢をほとんどみたことがなかった。

入院してものすごい坂道を転げ落ちるような夢や、

たくさんの花が咲いていたり、祖父母が来る夢を見たり…

(何故か、ポテトチップの大きな袋を持っていた。笑笑。)


これは本当にダメなんだろうというところから始まった。


悪性胸水。覚悟をした。



病室は抗原病の為の部屋だったが、ひとりの時間は声を殺して毎日泣いていた。



子どもたちは2人とも成人して、それぞれ伴侶をもっている。夫のことが気がかりではあるが…大きな心配や思い残すことはないと思った。



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残念ではあるのだけれど、私は幼い時から母はいない。祖父母に育てられた。



私が小学生になって父が再婚し父と暮らすことになった。

継母とはとにかく合わず、私は17歳で家を出た。

父はその後離婚しひとり暮らしになった。


祖父母は独身の叔父と暮らしていた。


幼い時も家を出てからも、私は祖父母の世話になった。




祖父と祖母は90代後半であちらの世界に行った。


祖父は99歳でお迎えがきた。直前まで叔父とうなぎを食べに行っていた。

叔父は祖父が亡くなった後、亡くなってしまった。



祖母は叔父の意向で90歳を過ぎてから胃ろうになった。

叔父が亡くなり、父は自分の世話が精一杯の状態。私は仕事もあり子育て中。とても祖母を介護できる状態ではなく祖母は施設で暮らしていた。


施設の面会はコロナの前だったので自由だった。週に1、2回通った。


祖母は車椅子に座っていた。かなり認知症が進んでいたが、食べられなくなっちゃったよとこぼした。

時々歌っていた。うちに帰りたいと何度も何度も訴えた。


そしてだんだん話をすることができなくなった。

痰の吸引が必要になり、自分では顔を掻くこともできないような状態だった。寝たきりが何年も続いた。


何度も肺炎になっては入院し持ち直した。医者は心臓が強いからと言っていた。毎日病院に通った。


叔父が亡くなってから顔を見に行く以外、何も出来なかったが、5年ほど祖母を見守った。祖母は97歳で祖父と叔父のところに行ってしまった。



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最近になって、父と祖母の話をした。

血の混じった痰を吸引されて、顔をゆがめ、辛かっただろうねと父がこぼした。


父は、俺はいつお迎えがきてもいいと思ってる。あれは嫌だ。とこぼした。


私も同じ意見だった。


仕事がらたくさんの人にさよならを言った。

祖母も見送った。


人生の幕が閉じる時は自然がいいと思ってきた。

私はステージ4の癌になり、治療を望まなかった。


今の主治医に出会わなければ、自分の中に生き続けるという選択肢は私にはなかった。