今朝もカタカムナ朝活に参加のスタートですアップ

 

今朝のカタカムナ的な歌は松田聖子さんの「風立ちぬ」

風立ちぬ「カセタチヌ」をカタカムナで表現すると、見えないところからすごい勢いでやってきて見えない風となっている。

 

突然の風。

それまで澱んだ空気の中に生きてて苦しい思いをしてる時、見えないところから風が起きる。

澱んだものは一掃され忘れ、もう一度立ちあがろう!!

 

という感じだそうです。

 

前から見えない風が、すごく不思議だったのですが、今朝スッキリ。

 

人生の途中、今この風立ちぬを生きてます。

 

一掃して!!

 

でもこれって、悪と戦うのとも違って、澱んだものそれをもOK。

 

そして今朝のカタカムナでは、モロアキドミチ(商人道)から品質、在庫の考え方。

 

それは当たり前!と言える言葉が書かれてます。

 

内容より、古代からのカタカムナの中にこんな教えがあることがびっくりです。

 

私自身、社会の商売でのつながりがずっと苦手でした。

21世紀生まれの子供たちに、説得されることがあります。

 

でもね、お母さん。。。

 

って。

そう子供たちは、今ある理不尽にわかっていながら馴染んで、それでもって信念を持って生きてて。

 

すごいな

って思います。

 

商売というのは古代からあったんです。

 

以前読んだ本の中に、今現在本来のお金の流れは、50年だか100年だったか忘れちゃいましたが、ごく最近、おかしなことになっている。本来の流れにマネーゲームという違う流れが入り込んでいるというような内容がありました。

 

この話と、今朝の古代からのお話と、子供の戦うことなく、認めた上での行動。それはただ流されるんじゃなくて信念を持って。決して戦うなんて望まず。

 

当たり前の本来の流通は、あるんです。

 

そして自然界に流れる風をちゃんと感じてれば、澱みも自然に一掃されるんだなと感じました。

 

その根本には循環の中のつながり。

 

誰かを想う、たったそのカケラを大切にしていくこと。

 

マネーゲームは、その誰かを想う気持ちを別々にしちゃうのかもしれません。

 

全て繋がっている。

 

愛を持って、目の前の自分ができることをすればいいんだと思います。