調香師、というのは英語で言うと、
フレーバーリスト(Flavourist)と、パフューマー(Perfumer)といいます。
フレーバーリスト(Flavourist)はフレーバー、つまり食べ物の香りを、
パフューマー(Perfumer)はフレグランス、つまりトイレタリーやパーソナルケア商品の香粧品の香りを作ります。
ここでいう香りとは、一般的に香料といます。
この香料を、アルコールに溶かしたものが香水です。
ただ、香料の意味で「香水」と記載されていることは多々あります。
香水の都グラース
ハンガリーウォーターがアルコールを使った香水の最初といわれていますが、これは薬としても使われていたようです。
南フランスのグラースが香水の発祥の地といわれますが、もともとオシャレな香りの文化はイタリアから来ています。
15世紀のチェーザレ・ボルジアの時代には、イタリアがファッションの中心で、パリはもさいところだったとか。
フランスのアンリ2世に輿入れしたイタリアのカトリーヌ・ド・メディチが、お抱えの調香師をフランスに連れてきたらしい。
それが16世紀。
一方。
南フランスのグラースは、革手袋の製造の中心でした。
手袋を舐めす(なめす)ために、アンモニアが使われていて、これは言ってしまえばおしっこのような臭みがつきものでした。
12世紀ごろからすでに、臭すぎる革製品には、香料を使うように法律があったとか。
16世紀のカトリーヌさんももちろん、手袋に香り付けをしました。
財力も権力も併せ持つ彼女は、グラースに香料工場まで作ってしまったそうです。
これが、南仏グラースが世界的な香料の中心地となる始まりでした。
そしてネロリの誕生
17世紀、イタリアのネロルの公妃であるアンナ・マリア・オルシーニは、ビターオレンジの花の香りをこよなく愛したそう。
ビターオレンジは、暖かい地であるイタリアや南仏での栽培が盛んです。
彼女は、この花を浴槽に入れたり、香り(おそらく精油)を革手袋に染み込ませたりして、流行を作り出しました。
そしてパリ社交界でも大流行に。
アンナさんはパリ出身だったようです。
公妃の名前から、このビターオレンジの花の精油はネロリ、と呼ばれるようになります。
ネロリは、例の革手袋の匂いを消すために大人気。
ビターオレンジの生産の中心も、イタリアからグラースへ。
ますますグラースは、革手袋の製造より、香料の地として栄えました。
まあ、現在は、グラースの中心地ほど寂れちゃってます。
住民も、移民が多いですね。
多くのフランス人やお金持ちは、その周りの街に住んでます。
香料業界
部外者だけど香りが好きすぎる生物物理学者であるルカ・トゥリンが書いた「香りの帝王」。
初めての人には、香水や原材料について想像力豊かに書かれてあって面白い。
そこで触れられているのが、当時ビッグボーイズと呼ばれていた、世界最大の6社について。
確かフレグランス業界だけでいえば、こういう感じだった気がします↓
1位:ジボダン(Symrise/スイス)
2位:フィルメニッヒ(Firmenich/スイス)
3位:アイ・エフ・エフ(IFF/アメリカ)
4位:シムライズ(Symrise/ドイツ)
5位:高砂(日本)
6位:クエスト(Quest/ドイツ)
クエストはジボダンに吸収され、各社でM&Aが繰り広げられ、ずいぶん様変わりしてしまいました。
2021年のフレグランス・フレーバー合わせた業績だと、IFFが一番のようです。
IFFは、マクドナルドのポテトの香料を開発していることでも有名ですね。
あと、コカコーラ。
マクドのポテトが病みつきになるのは、IFFのフレーバーのせいです