思い返せば、元々不仲だった両親が
さらに不仲になったのは小学校高学年の頃。
元々健康食品や無農薬野菜など健康志向の高かった母親が
有名なA社のマルチ商法にはまったのです。
ここの商品は安全で性能が良いと豪語し
鍋や洗剤等々…家にはA社の物がどんどん増えていきました。
商品についてはよく知りませんが、本当に良いものなら使う事には反対ではないけど
明らかに母親の様子もどんどんおかしくなっていったのです。
仲の良かったお友達にA社の商品を紹介し、話に乗ってこないと「あの人はわかってない。ダメだ。」と友人を悪く言うようになり、母親のまわりからは古い友人がいなくなり、A社で繋がる気持ちの悪い人達ばかりになりました。
セミナーというものに私も何度も連れて行かれましたが、小学生だった私から見ても明らかに気持ちの悪い集団でした。
そして、その集団の中でも地位が高く話すのが上手い男性が母親を洗脳したようでした。
私はもちろんその集団が大嫌いでしたが、当時は母親に嫌われるのが嫌でいい子にふるまっていました。
母親はセミナーに参加する回数がどんどん増えていき、夜遅くに帰宅することも多くなりました。
私は受験のために塾に通っていたので、自分の帰宅も遅いこともあり、母親がいない事にもだいぶ慣れていましたが(もちろん嫌でした)
父は許せずに毎日のように激怒していた記憶があります。
私が寝てから母親が帰宅するわけですが、
寝ているとものすごい物音と怒鳴り声で目が覚め、ドアを細く開けて様子を見ていたら父に見つかり、、
「子供が何見てんだ!早く寝てろ!!」と物が飛んでくるのです。
それからは目が覚めてもドアは開けず、布団をかぶって耳をふさいでひたすら恐怖と闘っていると知らないうちに朝になる…というパターンでした。
そんな状況が続く中、私は第一志望の中学に合格し、やっと大嫌いな同級生から解放され
家の外ではのびのびと過ごせるようになってきました。
家の状況は何も変わらず、というより悪化していっていたような気がしますが…
家で親といる数時間はとにかく無になるようにしてやり過ごしていました。
ある日いつものようにもの凄い物音がして目が覚めましたが、いつものように布団をかぶり耳を塞ぎ目をつぶり朝を迎えると
母親がいませんでした。
父親に、恐る恐る母はどうしたのかと聞いてみると
「出てった。」と。
どこに行ったのかと聞くと
「そんなん知らねえよ。」と。
もうそれ以上は何も聞けず、普通に学校に行きましたが、父親が家にいない間にもしかしたら母親が帰ってきているかもしれないと思い、学校のあとは急いで帰宅しました。
母親の姿はなく、母親の物がなくなっていて
本当に出て行ったんだな、と呆然としたのを覚えています。
頭のおかしくなった母親はとても嫌でしたが
それ以上に暴力的で高圧的な父親が嫌だったので
どうすれば良いのかわからず、、
携帯のない時代だったので祖父母の家に電話をしてみましたが、「来ていない。」と。
母親には姉がいますが、すでに離婚していて祖父母の家に住んでいたので、他に母親が行きそうな所は思い当たらずどうしようもありませんでした。
それから暫くは母親から連絡が来るかもしれないと思い、なるべく早く帰宅していました。
いなくなって1週間くらいした頃に、電話がかかってきました。
「ごめんね。今は〇〇に住んでるから。」と住所を伝えられ、自転車で行ける距離だったので翌日会いに行きました。
母親が出て行って、捨てられたような気持ちで1週間過ごしましたが、連絡が来た時は本当に嬉しかった。
母親はよく私に父親の悪口を言っていて、一緒に出て行こうかと冗談混じりに言われた事も何度もあったので
連絡してきたという事は、私の事を引き取ってくれるのかなと期待をしながら向かったのをよく覚えています。