フォークやニューミュージックが好きだ。


何故好きなのかをほんの少し自己分析しながら、これを読んだ人がその手の音楽に興味を持ってくれたら嬉しい。




僕の場合厳密に言うと、フォークなどの音楽性と言うより(音楽性はもちろん好きだけど)、あの時代に生まれた濃密な人間の意思自体が好きなんだと思う。



基本的にサウンドというものは時代が作ると思っていて、何故あの時代にアコースティックサウンドが多かったかと言えば、『アコースティックが一番使いこなせるような感じがした』からだと思う。

シンセサウンドが増えた時代なら、その背景には絶対的にシンセ楽器が発明から実用の段階に移ったという理由があるし、近年のEDMだって同じことが言えるだろう。



ちなみにロックの発展は、増幅と歪曲の歴史だと思う。



ビートルズはある時期からライブの一切をしなくなった。ゲットバックセッションに伴うビル屋上でのライブという例外はあるが。

これは一説には、ビートルズの人気やそれに合わせた会場の広さに対して、音響機材のスペックが追い付かず、ビートルズがその環境で演奏を行う事に対してYesと言わなかった事が理由だとされている。これは時代背景があるのでしょうがないが。



そのように『たられば』を念頭に考えると、可能性の話ではあるが、最初期のひねくれた吉田拓郎さんが、SGを振り回してガリガリにディストーションギターを掻き鳴らす事があってもおかしくなかったわけだ。



また、何かで読んだのだが、人間の聴覚は大きい音に魅力を感じやすいという構造的な特性を持っているようで(同じ曲を単純に大きい音と小さい音で聴いたときの快感の得かたの違いや、多少ヘタッピでもボリュームで押しきるようなライブがあったりするだろう)、この辺りも増幅の充実がもたらしたユーザーのニーズの変化とも言える。



つまり当時の音楽が、そのような物理的制約も含めて生み出されたものであるならば、その曲の外見的な音楽性はもちろん、その曲に含まれる考え方やストーリーを自分なりに解釈し、その曲の本当に表現したかった事を想像しながら聴くのも、面白いのではないかと思う。




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『客』の定義が変わる

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フジロックがYOUTUBEでライブ配信されている。

しかも結構ガチなレベルでである。

 

 

これに対して『わー今年はこんなことやってんだー』だけで終わるのではなく、ちょっと斜に構えて、『なぜ無料配信が行われているんだろう』を考えてみたい。そしてゆくゆくは各ライブハウスでこういうサービスが始まっていかないと、この先正直しんどいものがあると思う。

 

 

結論はたったひとつで、スーパーライトユーザーの確保、これに尽きると思う。

 

過去、こういうイベント系の中継は、もっぱら衛星放送の有料コンテンツにおいて行われていた。

これを見る人たちというのは、既にそのサービスのある程度の市場価値が分かっていて、それに対しての対価としてお金を払っていた。

今回の配信は、全くのいわゆる『音楽素人』含め、単純な環境だけで言えば世界70億人に対してコンテンツが無料、ザルの状態を作っている。『フリーミアム』を極めた状態だといえる。

 

従来、音楽の入り口として、どうしても『まずチケット、まず料金』というスタイルがあって、おそらくそれは現在も変わってはいない。

ただ、今回はソフトバンクがスポンサーについて、仮にトータル100万人の優良閲覧者や現地組がいたとして、その人たちから引き続き搾り取るよりも、まだ見ぬ1億人、世界で言えば70億人が、その中なら数人でも新規に好きになってくれる可能性にチャンネルを切り替えた方が、最終的に利益があるよね。という判断をカッコいい大人たちがしたのだと思う。素敵なことだ。

 

 

これに見習って、ライブハウスが飲食店の様に全面ガラス張りになって、ある意味筒抜けで状況を窺い知れるとか、そんな事になればマーケットの分母が増えて面白いのにな、と思う。

 

 

『フリーミアム』の例として、例えばGoogleはすべてのユーザーに対して無料でクラウド機能を設けている。厳密にいえば広告とかいろいろ絡んで複雑なので割愛するが、スタンスとしては『製品版と遜色ないものを提供するから、まずは心行くまで使ってね。そして気に入ったらお金を頂戴ね(例えば無料版は5GB、有料版は15GB、というように)』である。そしてコンテンツ商売は食べ物の様に都度減るものではないので、そのモデルを完成させやすいのだ。

 

 

なお、フリーミアムはお金を落とすかどうかの選択をユーザーに任せているので、この論理で行くと、太い客という理屈が通用しなくなっていく。そりゃあ、いつも応援してくれてありがとうは絶対的に存在するけど、ただグッズを買ったりチケット代を納めるだけのお客さんは、自然淘汰されていく。ユーザーに選択権を委ねているので、いっぱい買っているから偉い!とか、キャバクラでボトルを開けるかのごとくに応援していることになっている…は通用しない。これからは一緒に会場で盛り上がったり、発信の助力になったりという、自分が感じた価値そのものに対して対価を払える、参加型のお客さん像が求められていると思うし、自分だったらそう言うお客さんの方がうれしい。

 

むしろ太い客理論が横行するようなことがあれば、却ってこちらとしてはいい迷惑になる。

確かに一定の対価が支払われるかもしれないが、こちらの目論見は自分という市場の継続的な拡大なので、太い客が太く幅を利かせることで他のお客さんが入り込みにくくなるような市場の拡大を妨げているとすれば、甚だ迷惑な話なわけである。

 

 

悔しいかな、ディズニーランドのモデルが理想に近い。

 

 

参加費(チケット)に自分なりの価値を見出し、その価値に自分で付加価値をつけて(おみやげを買ったりグッズを買ったり)、さらにその一部始終をSNSでアップする(二次的な宣伝や発信になる)。この一連の流れに、ディズニーランドが強制している要素はひとつもないのだ。そしてお客さんもどれだけ金をつぎ込んでも、俺をVIP扱いにしろ!とは言わないのだ。それは繰り返すが、自分自身で自分の行動にお金で付加価値をつける仕組みだからである。

 

 

ミッキーになりに行くか。

 

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5年後に誰がいる

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それなりに長いこと音楽をひとりでやってきた。

その間ずっと思ってきたし、今日に至るまで良かったな、と思うことが一つある。

 

『男(同性)に好かれてよかった』ということだ。

 

休み休みながらかれこれ10年くらいの取り組みの中で、ありがたいことに応援してくれる人もいる。

その中でその人たちは(僕がそれほどイケメンでもないのが幸か不幸か)、僕の『歌そのもの』を、ずっと聴いてくれていた、という自負がある。

 

今回の話もマーケティング的な部分になるのだが、仲間の女性の歌い手が相次いで活動を離れたり、音楽性以外のところで悩んでいたりしているのを見て来て、余計なお世話を承知で端的に問いたいしあわよくば修正を促したい。

 

『あなたのお客さんは、あなたの『何の』お客さんですか』と。

 

 

10年ほど前に、70キャパくらいのハコを満員にして、知り合いの女性シンガーがワンマンライブをやった。しかしその実、65人くらいがいわゆる中年男性であった。

別に中年男性を否定しているわけではない。70人をひとりで呼べる実力も凄い。しかしステージから見た客席の状況は、果たしてその子が望んだ景色だったのだろうか。

 

本当は同い年くらいの女性の気持ちを代弁して、同い年の女性にもそれなりに聴きに来て貰いたかったのではなかろうか。もしそうなら、マーケティングに失敗したと言わざるを得ない。

 

 

西野カナは会いたくて震えながら、ライブや作品で女性たちの支持を得る。表には出さないけど、会いたくて震えている様な女子をしっかりターゲットにしているのだ。

 

48や46な皆さんは、握手会や投票で頑張っている姿を応援したい男性客や、その頑張っている中に自分も入りたい次世代の女の子達から支持される。偶像としての自分の姿を自覚し、自他共にその姿自体に価値があることを知っている。だから、いつかはグループとしての『アイドル』から、引退する時がやってくる。

 

 

アマチュアでだいたい目にする問題は、ソングライター的立ち位置の演者が、アイドル的アプローチのマーケティングを行っていることに端を発していると思う。

一時的な事を考えれば、確かにお互いのメリットは一致する。演者は物販やチケットが売れることに安心感や演者としてのアイデンティティを感じ、お客さんは圧倒的なスピード感で承認欲求が満たされる。写真やサインが1枚数百円で売れることが分かった日には、資金的な問題においてもだいぶゆとりも生まれることだろう。

 

だがそれをやり続けても自分発信の市場はそれ以上拡大しないし、ソングライターでありたい自分とアイドルを求める客のニーズが合致するわけがない。その結果、客とのディスコミニュケーションが発生する。要するに演者側に引退がない代わりに、客が演者から引退するのだ。

 

望まぬアイドル化を防ぐためにも、5年後、10年後、自分がステージから見た客席の風景を想像しながら、今のうちから活動をしていくというのも、大事な事なんじゃないかと思う。

 

 

なんて、もうちょっとで中年男性になる男のおせっかいでした。

 

 

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身近なマーケティングを。

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ミュージシャンになろう!と思っている人が音楽だけをやっていればよかった時代は、結構前に終わってしまったんだと思う。

 

 

一時は(今もちゃんと揃えれば)ウン十万は下らなかったDAWソフトが無料で手に入る時代に、ピンポン録音(懐かしい言葉!)した音源ではよほど光るものがないと太刀打ちできないし、

路上でビラを撒いてミクシィページに招待するとか昔はやってたけど、そんなものよりも程よくバズって程よく名前売った方が手っ取り早いとか、色々な事を事前知識として知らないといけなくなった。

 

 

特に一番変わっているのは、だれでも『自分の主観を発信できる』という現代の情報のカタチそのもの。

 

 

大学の授業で習った事が面白く、今も覚えているのだが、

 

『泳げ!たいやきくん』は半年で400万売れた。

『だんご3兄弟』は3週間で300万売れた。

 

つまり確実に売れる期間が短くなっている。これは情報が一方通行から相互通行への移り変わりのひとつの結果で、たいやきの時代は半年間たいやきが流行の最先端ということで全然問題なかったが、だんだんバカスカと新しいものが紹介され、流行りすたりのサイクルが非常に早くなった。

 

今なんかもっとで、流行ってるいうよりはむしろ自分で自分のトレンドを創出していく事に重きが置かれていて、インスタグラム映えだったり、レシピやコミックエッセイなどはブログ発のものが売れていたりと、だんだんと情報の発信元が変わりつつある。

 

周りで何が流行っているか?どんな気持ちで日々を過ごしているのか?に常にアンテナを張っていないと、『あなたのためにうたいます!』と言ったら『私のためならうるさいからやめといてくれ』と返される日が、そう遠くないと思う。

 

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お前に分かってたまるかよ

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上記は極端な例だが、僕が基本的に『イベンター』のライブが好きでないところを、端的に綴っていこうと思う。

これを見て、何かの参考になれば助かる。

ちなみに上記、お久しぶりと言っても知り合いでもなんでもないし、貼ってあるURLはリンク切れだ。


テンプレとはいえ、も少しまともなものを送って来てほしい。



ひがしなっとく的・こういうイベンターは嫌だ!

①お互い知らないのに挨拶もそこそこに『僕らのイベントに出ませんか?』と誘ってくるやつ。

普通に考えて、まずちゃんと音源聞いて、そっちサイドでしっかり咀嚼して、そっから声かけるでしょ!別に誰でも良いや~っていう心の声筒抜け過ぎ。


②イベントのウリが『安い』『たくさん人が出る』『デカい所で出来る』みたいな数の部分でしか訴求できない企画。

これも上と同じ理由。
逆に並べていくと、『デカい所で』『たくさんの人が出れば』一人当たりのノルマは『安く』なって当然です。
問題はそのデカいハコが閑古鳥鳴いてるか鳴いてないか


③SNSで主催者からの告知がない、ハコのホームページに詳細情報がない。

上の事を考えると、このイベンター的にはハコに規定の演者が集まれば、最低自分の胴元は傷つけずにするわけです。ハコ的にも持ち込み(というより大学のクラブ活動の一見お断りみたいな扱いか?)企画なので別に宣伝する必要性がない。

みたいな。


イベントに出ることは素敵です。
しかも活動を始めたてのころは、イベントに出て大きな自信も得るでしょう。

ただ、あなたに対して何を求めて、その人が近寄って来たかを真面目に考えるのもたまには良いかもしれない。

あなたが出演を検討しているイベントは、こんな内容ではありませんか?