みなさん、こんばんは。
本日も『小野』の章について解説してゆきます。
不意打ちのように出家してしまった浮舟を女房達は責め、尼君の留守にとんでもないことになってしまったと動揺します。
浮舟が出家したことははや中将の耳にも届き、落胆するのです。
ここで中将は最後にとばかりに浮舟に歌を贈りました。
岸遠く漕ぎ離るらむあま舟に
乗りおくれじと急がるるかな
(極楽浄土を目指して漕ぎ出された御身に後れをとってはならぬ、と私も出家したい気分ですよ)
それに対して浮舟はもう縁を結ぶことは無い、とその手紙の端に歌をしたためました。
心こそ憂き世の岸を離るれど
行くへも知らぬあまの浮木を
(心は世を捨てましたがこれから先どこを漂うのかと不安も積のる尼<海人>の浮舟なのですよ)
中将贔屓だった少将の君はそれを返歌として差し上げようとするのを浮舟が諌めて、「そのような手習い(無駄書き)を差し上げるのはやめてちょうだい」と述べるのです。
原典での『手習』というタイトルはこの部分によるものですね。
初瀬参りから戻った尼君は姫の変わり果てた姿に嘆き悲しみます。
そこでやはり中将と添わせたかったと本音を漏らすのですが、浮舟にはやはり出家は間違いでなかったと思われるわけです。
しかしながら尼君の悲しみぶりを見るや、もしや実の母がこのことを知ったならば同じように嘆くであろうか、と空しさを覚えずにはいられない。
その哀れさがにじみ出ている歌がこれだと思います。
なき物に身をも人をも思ひつつ
捨ててし世をぞ更に捨てつる
(わたくしは恋しい人たちを捨てて入水をしたのだけれども再び世を捨てることになるとは思いませんでした)
限りとぞ思ひなりにし世の中を
かへすがへすも背きぬるかな
(入水の際にこれが最後であると諦めた世であるのに繰り返し背いて尼になってしまったことよ)
なんとも過酷な浮舟の宿命でありますね。
明日は『山風』の章を解説致します。



