みなさん、こんばんは。
本日も『翳ろふ』の章について続きを解説してゆきます。
浮舟が自死であったということを知った薫と匂宮の反応はまさに対照的で、その感慨も二人の性格が表れているところですね。
薫は右近の君を問い詰めて宮との不義を白状させようと試みますが、必死に主を庇う右近の姿に追求を諦めます。
しかし、二人のことはやはりぬるい関係ではなかったと察するのですね。
それからはどうしてこのような宇治に浮舟を置いたか、と自責の念に駆られ、浮舟不憫と涙を流すのです。
一方、侍従の君によって浮舟の自死を伝えられた匂宮はどちらかというと甘い感傷に身を委ねるといった感じでしょうか。
侍従の君は匂宮に傾倒しており、浮舟は宮の元へ行けぬ悲しみに身を滅ぼしたと信じているので、伝える言葉もそのような主観の入り交じった物となります。
生来おめでたい皇子である匂宮はその言葉を鵜呑みにして浮舟は愛ゆえに死んだ、と心に折り合いをつけるわけです。
ここにやはり苦悩を正面から捉えて悶える薫と自分の存在が一人の女を死に至らしめたと罪作りな感傷に浸る宮との対比が印象に残ります。
私は普段あまり感情を強く示すような表現は使用しませんが、この部分の薫の嘆きは薫の言葉で表そうと決めました。
ストーリーテラーとしては感情は出さぬのが好もしい。
しかしてここぞという時に詠嘆を表すのは効果的と思われるのです。
その部分が以下の文章です。
昔中君は冗談紛れに浮舟のことを大君と瓜二つの人形のように言ったことがありましたが、人形(ひとがた)とはまさに人の穢れをその身に受けて川に流される宿命を持つ物ではあるまいか。
この宇治という土地は憂し(うし)に通ずる。
八の宮さまを亡くし、大君も浮舟もこの地で亡くした薫にはもはや宇治は心寄せる場所ではありません。
おお、浮舟よ。
どこぞの水底で冷たい貝となり果てたか、哀れなり。
薫は浮舟の為だけに泣いたのでした。
これ以後、こうした手法を多く用いるようになりました。
明日も『翳ろふ』の章について解説致します。



