みなさん、こんばんは。
本日は『浮舟』の章について解説してゆきます。
とうとう浮舟と薫が結ばれる場面ですが、原典では騙しうちのように薫が訪れて浮舟を連れ去ってしまいます。
平安時代というのは男尊女卑が激しく、結婚というのはこうした略奪的な物も多かったのです。
基本男性が意中の女性を夜這いしたりして事実婚となす場合がほとんどでした。
ですから薫が浮舟を連れ去ったのはよくあること、という感じでしょうか。
しかしこれは現代を生きる我々には違和感があるでしょう。
それにしつこいほどに品行方正と表してきた貴公子の振る舞いが攫い婚というのも何なので、浮舟の母親の了承の元、穏やかに宇治へと連れて行くというように変えました。
原典では道行をさらりと描かれておりますが、初めて薫君と浮舟が直接言葉を交わす場面ですし、浮舟の気持ちも大切であると思います。
己の存在を否定して生きてきた二人が互いを認め合い結ばれる、自然の流れのうちに心を通わせるのがよいと私は考えました。
そしてここでの薫と浮舟の会話は重要ですね。
「あなたはまるで漂う小舟のようにご自分をおっしゃるのだね」
そうして悲しく笑む薫に姫は答えました。
「わたくしはそのように流れてきたのですもの」
「なるほど。ではその浮舟を私の元に繋ぎとめよう」
前の解説で書きましたが、この時から私は浮舟と表記するようにしました。
ここは「浮舟」という名の意味というのを考えて私なりの解釈をしたところですね。
薫と浮舟の結びつきは魂が救われるようなものであってほしい、その為にはこうした意味を後付するのも効果的になるものです。
そうして結ばれた二人であればこそ浮舟の匂宮への揺れる心はより愛の残酷さを浮かび上がらせるのです。
宇治の恋物語はただの恋愛話ではなく、愛ゆえの幸福、そして時折垣間見られる残酷さ、人の苦悩を深く描いたものです。
紡がれる結末もハッピーエンドではありません。
原因があって結果が生じるのですから、その過程を丁寧に描くにはやはり人の心の描写が重要だと思うのです。
明日も『浮舟』の章を解説致します。



